先日、新年会で琵琶を弾かせていただいた。
場所は能舞台。
聞いてくださるのは、能面制作の方々。
中にはプロの能・狂言関係者などもいらしてなんだかとてもドキドキ。
幹事をしてくださった方が2〜3枚写真を撮ってくださったのでアップする。
弾き語りの琵琶曲は「茨木」
心がバタバタしていたのやもしれぬ。
腕時計をしたまま歌っている。
外すのを完全に失念。
師匠には見せられぬ写真である。
今回は笛とコラボ。
笛は藤舎秀代さん。
未熟な私の演奏なのだが、笛の藤舎さんに助けられ何とか無事終了となる。
藤舎さんが琵琶とのコラボで使ってくださったのが沢山ある笛の中から「能管」。
下の写真で縦に置いてあるのがそれ。
竹の笛に塗りを施した篠笛とは少し違う。
竹を縦に裂いて外と中を逆にして桜の木の皮で巻いてさらに塗りを施したもの。
一般の篠笛は音階をならせるのだが能管はそうはいかない。
琵琶のように音階のない物とコラボするには能管が一番良いとか。
また、笛には龍笛(りゅうてき)と言うのもあるがこれはほとんど雅楽に用いられる。
龍笛の音は「龍」の鳴き声から来ている。
藤舎さんから仕入れた知識。(笑)
中々間近で見ることができないのでちょっとご披露した次第。
まだ、あと二回新年会で琵琶を弾かせていただく予定。
次は「平忠度」。がんばりまっす。
千の練習より一つの舞台
どんな方からの要請でも喜んで受けなさい・・
全てこれ修行・・
いつも言われている。
だから断りたいような時でも決して断ってはいけない。
特に私のように小さくてか弱い心臓の持ち主は練習より舞台の場数を踏まないと中々上達はない。
舞台の度にガラスの心臓に「ピッ」「ピキッ」とひびが入っていくような気がして心もとない。
堂々と弾けるようになるのは一体何時なんだろう〜。
「死ぬまでないよ」と先輩。
無残にも打ちのめす冷たい言葉をありがとう。(シュン〜↓)
そして新年会で弾けるような曲が案外琵琶には少ない。
琵琶には人の生き死ににかかわるような題材が圧倒的に多いから。
「茨木」は自分の切り取られた腕を奪還しに綱屋敷に来た鬼が見事奪い返していく物語。
聞きようによってはむしろ痛快ともいえるかも。
「忠度」の方は西に落ちのびる前に俊成に自分の歌の巻を託しいつか勅撰するときに見てほしい、と言い西国に落ちていく物語。
惻隠の情禁じ得ない話であるが語りの中ではどなたも死なないのでかろうじて良しとしよう。(笑)
さざ波や志賀の都は荒れにしを
昔ながらの山桜かな
平忠度の歌の巻からこの一首を俊成は選んだのだが、なにせ忠度の名前は載せられないので勅撰集には詠み人知らずで載せられている。
「詠み人知らず」ではなく自分の名前を乗せてほしいという忠度の霊を扱ったのが能「忠度」であり、この時に使われる面が「中将」
の面である。以前どこかで忠度の辞世の歌を扱ったブログを書いたと思う。
行き暮れて木の下陰を宿とせば
花や今宵の主ならまし
壮絶な討ち死にであったとか。文武二道の忠度であった。
琵琶の語りではその壮絶さはなく静かに過行く格調のある琵琶歌となっている。
は〜・・・ぁ・・・〜・・
すべて終わらないと、何だかとても気持ちが落ち着かない。
それが済んだら今度はもう一つ・・・・・・一泊の温泉旅行の幹事が待っている。
そういうことがあんまり好きではないのだが、人との関わりもこの世の常。
周りの人たちがいての今の自分である。
何でも回ってくる役は好き嫌い関係なく、できる出来ないも関係なく、一応こなそうとするけなげな雲龍柳でもある。
新年の行事はしばらく続きそう。。。
何より自分の仕事もある。
上から、ヒヨドリ、スズメ、カルガモ、ムクドリ・・・の順。
スズメが妙に可愛かった。
さてさて、我が能面「小面」は
やすりできれいに磨かれてこのように。
裏面も・・・・な・ん・て…何て美しい〜♪
我ながら惚れ惚れして見入っている。(如何なる異議も却下!!)
以前のガタガタの面影もない。(言い切る所が何とも私らしい。)
いやあ〜紙やすりで磨いている時が妙に楽しく心休まる時だった。
慌てず、本当に丁寧にゆっくりと楽しんでお正月の時に磨いていたよ。
そして今は木の「やにぬき」最中〜
これがうまくいくと今度はいよいよ彩色工程に入る。
彫ってしまうとすぐ彩色だと思っていた私。
どんなことも中々簡単には進まない。
まあ・・・だから楽しいのかもね・・・
雪は一段落だね。