和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

能面の世界

連休を利用して、能関係の本を少しばかり読んだ。


最初は単なる基礎的な知識だけでも少し入れておこう・・なんて程度だった。
なにせ私のような人間は能舞台を見ているだけで眠ってしまいそうなくらい全く持って知識のない人間なのだから。

結論を言うと、物凄く面白かった。能や能面の本がこれほど面白いなんて読む前には思ってもみなかった。
チョイスの仕方もよかったのだろう。は、は、は・・・・いつもながら自画自賛〜♪
で・・・いくつか紹介。

一番最初に読んだのが「能のかたち」という本。
副題が〜Nippon美の玉手箱〜 という本でこれが厚い。重い。
そしてすこぶる中身が濃い。
何より系統だって実に面白い。
私は能面師の先生から借りた。


  ・能面と能装束
  ・彩色の下、面の裏
  ・能と人々

と分けられているのだが、実に写真が沢山あってしかも美しい。
何より面の表だけでなく裏の写真もふんだんにある。
能がどのように庇護を受け、能面師たちによって製作されて来たのか、どのようにして日本各所に広がったかなど実に面白い。
福岡市博物館が編集したもの。
ただ市販されていない。
何とか買えないかを色々問い合わせてみたのだが以前のもので販売目的で製作されていないこともあって無理なようである。
大々的に展示された時の解説書のような形で作られたのだろう、博物館や能美術館、能楽関係者にしか配布されていないとみた。

で、買えないような本の事を書いてもしょうがないので実際手に取れる本をご紹介する。
特に初心者には、分かり易く読みやすかったのは


能面の世界 (コロナ・ブックス)

能面の世界 (コロナ・ブックス)



能百十番 (コロナ・ブックス)

能百十番 (コロナ・ブックス)





この二冊。

「能面の世界」は能面が舞台でどのような効果をもたらすか、実際の能楽名家に伝わる名品、逸品を美しい写真で見ながらの解説書である。
能の神髄ともいうべき能面の魅力をダイジェスト的に薄い冊子で分りやすくまとめた簡単な入門書でもある。
能の演技の要であり、同時に美しい彫刻でもある能面の中に隠れている悲哀、憤怒、歓喜、羞恥、憧憬、嫉妬、洒脱、精悍、怨念、妄執・・・
感情を掘り出す時の表現上の決まりについても細かく素人に分りやすく説いている。

仰向く(テラス)表情、俯く(クモラス)表情・・右を向く時と左を向く時と微妙な表情を能面は見事に表出しているのはなぜか。
能面にどんな工夫がされているのか・・
若い女面を例にとり実にわかりやすく解説されている。
例えば瞳を丸ではなく四角に開けてある、それは瞼を見開いた形を避け、黒目がちな済んだ目を見開いた結果の工夫とか。
又、頬がふっくらとした清楚な若い「小面」から「近江女」「万媚」、次第に年齢を重ねた「深井」「曲女」、年老いた「姥」「老女」までその時々でいろいろな工夫がなされている。
女神や天女として使用される「増」(ぞう)という面に至っては、決して華やかでも満面の笑みでも、匂い立つような色香などで作られてはいない。
あくまで大事にされているのは端正な品格、気品である。若い女性の「小面」にみる口角の上がり方ではない。若干口角が下がりちょっと厳しい表情にも見える。
このあたりは以前の能楽美術館で面をつけている私を見ていただきたい。この時の面が「増」である。参考までに。


能楽美術館
http://d.hatena.ne.jp/umryuyanagi104/20140925/1411621360


こちらが小面


こちらが増



愛らしさや初々しさなどが強調された表現の「小面」と、どちらかというとちょっと厳しい端正な表情の「増」の面。参考までに。

髪の生え際、目のくりぬき方、唇の形、頬のふくらみ、鼻の形でさえ左右対称には作っていないとか、少女が成長し大人の表情になっていく、さらに様々な苦労をし老婆になっていく相貌の変化。
能面の写真を見ながら妙に納得し、人の世の移ろう様を能面に見ることができるのも何とも複雑な思いにもなる。
「孫次郎」なる名前が何故女面についているのかずっと疑問であった。孫次郎という能楽者が死んだ妻の面影を能面に写したところからという説なども読んでいて人間的で面白い。
この「孫次郎」の面は「小面」を一歩進めて作成されたものとも言われているとか。




勿論女同様、男の面もある。
清々しい爽やかな少年からたくましい大人の男の表情、戦いに行く勇ましい表情、苦しく辛い人生を生き抜く表情、厳しい表情や悲惨なもの、絶望的なものもある。
「十六」というのは「敦盛」がまだあどけない十六歳で散っていったことに由来して敦盛の舞台に使われる。「平太」という面は日焼けした勇猛な武士の顔であるのだが「八島」の那須与一などに使われる。鬼界ケ島に流刑になった「俊寛」やかつては勇猛な武士だったのに後に盲目の乞食をし娘と出会う「景清」の面もある。どれも今までブログで琵琶の曲として紹介したものである。今琵琶では「忠度」の曲をしているのだが、その「忠度」に使う面として「中将」という在原業平をモデルにしたのではないかという面もある。
実際中々見ることの出来ぬ名品や逸品の写真を載せながらの解説は実に鳥肌ものでもある。「忠度」についてはあまりに長くなるので機会を見つけてまたいつか。

「能百十番」は実際の能の演目の解説である。
「能面の世界」でどの能面がどういった演目に使われているのか解説されているのだが、残念ながらその演目を聞いたところで能を見たことのない人間には全く理解できないのだが、この「能百十番」ではどのような内容の能であるかが解説されているのでこの二冊をセットで読まれると物凄くわかりやすい。私は琵琶で弾く曲に関しては少しはバックグラウンドがわかるのだが、名前が違っているものもある。又同じ名前でも焦点の当て方が違っているものもあり本当に興味深い。




例えば「実盛」・・・琵琶の曲では白髪を黒に塗り華々しく散っていくダンディズムとして歌っているのだが、能「実盛」では実盛の死後200年にスポット。成仏できぬ実盛と遊行上人との霊的な出会いから始まる。又琵琶での「茨木」は平家物語では自分を捨てた夫だけでなくその愛人ともども悉く一族郎党呪い殺し渡辺綱に片腕を切り取られるのであるが、能では「鉄輪」(かなわ)として取り上げられているようである。いわゆる鉄輪(ごとく)を頭にはめて蝋燭をその上にのせ、夫やその愛人を呪い殺すもの。どこかで色々これを見かけているのだが、これが「鉄輪なのね?」と納得したり。どちらも阿部清明陰陽師として登場するのだが。なにせ琵琶の事しか知らぬので、「ああ、あの物語がここに続くのね…」と読んでいて本当に赤面もの。あの恐ろしい顔の真っ赤な「橋姫」の能面はこの時に使われるものなのね・・と。断片として知っていることが読んでいて線でつながれたものもある。「知らなんだわあ」と。お恥ずかしい限り〜。でもこんな風に一つ一つ勉強していけることが物凄く嬉しいのだ、今の私は。


実際この二冊を読んだ私はどんな能でも上演されれば能楽堂に見に行きたいと思ったのである。どんな内容で、どのような面を使い、どのような衣装をまとい、舞台上のどんな効果を狙いながら動きまでが計算されているのかということがある程度事前に知識として得られるので。多分何も知らずに行くよりは物凄くよく理解できるのではないかと思うのである。

能は人間を描く。人間の感情を描く。しかし決して生々しく表現はしない。騒々しくも言わぬ。言い足りないところで止めておく。気高く気品のある表出方法を使うのである。
まさに「秘すれば花」なのであり、見る側の想像力を駆使することも必要でまさに根底には文学があるのだ。

最後にもう一冊。これは完全にこれからのために購入。他の本とはちょっと別格。

能面を打つ―打ち方の基本と型紙

能面を打つ―打ち方の基本と型紙


著者は堀安右衛門氏。表紙の女面は「神功皇后」の面。この方が観世宗家に請われて製作されたもの。
「最高の能面は舞台でじっと立っているだけで一幅の名画となる」とのこと。
この方、見るからに物凄く品がある。この本を書かれたときは77歳。こんな品格のある77歳のお顔を今まで私は見たことがあるだろうか。端正なお顔立ちですこぶる気品にあふれていなさる。
邪念のいささかもないような美しい方である。人間的なものは仕事の中で昇華されているに違いない。解説されている文章もすこぶる簡潔で的を得ていて品がよい。しかも添えられている作業写真は「えっ?ここまで見せていいの?」という位に普通では避ける仕事内容真正面からの撮影である。この方が面を打っている姿には一首独特の品格があるように思う。まるで身を清められてから取り組まれているかのような張り詰めたオーラに包まれている。

女面ではあるのだが、他の面と一線を画す「般若」の面の解説も面白い。
私は鬼の面は皆「般若」だけと思っていたのだが、実に種類があるのだ。
「白般若」「赤般若」「黒般若」・・・しかも役柄により格というものがあるようだ。
教養も地位もある高貴な身分の女性が鬼と化す「葵上」の六条御息所は「白般若」
恋い焦がれるあまり男が隠れた鐘を焼き尽くす道成寺は「赤般若」
ひっそり山奥で暮らす野性的な「安達ケ原」は「黒般若」
その違いなど解説とともに写真で見られる。しかもその写真は伝説の凄腕面打師の写しを使われているので迫力満点である。

     ※又般若になる過程でのまだ人間的ではあるが角がちょっぴり生えている「生成」(なまなり)などもある。
      これに関しては上記の「能面の世界」に写真と解説がある。又、各種分類は能の流派によっても違うし、著者の考え方によっても違うようである。


他の本と違う点は、実際ご自身で作られている面打課程を図や写真を載せながら解説されている。
面を打つときの初歩的な知識そして基本的な流れをも混ぜながら、実際の面の細部のアップ(これが凄い。有りそうでないよ)を載せながらの図説である。
勿論門外不出であるはずの素晴らしい面の型紙まで惜しげもなく各種載せていなさる。これにはちょっと驚き。凄い。突き抜けていなさる。
多分型紙などを載せたところでそう簡単には作れないという自負もあるのであろうし、模写されてもそれが能面の技術や発展の一翼になればという達観された高い志もあるのであろう。
更に観世宗家の素晴らしい舞台写真などもふんだんに載っておりまさに鳥肌もの。
五千円という書籍費用が決して高くはない内容である。
幾種もの原寸大の貴重な型紙付きであることや逸品物の面の写真のふんだんさから思うと一万円でも決して高くはないのではなかろうか。



本当に充実したよい連休であった。

楽しくワクワクする全く未知の世界が今月から始まる。
「能面作り」の底辺にすこーしそして薄〜く参加していけるかもしれぬ喜びを思う私である。

ちなみに能面はこんな場所で打つ・・・舞台には鏡板。厳粛。


前回は慣れない手つきでのこぎりで四隅を切ったところ(笑)


下に見える白い膝は私のお膝〜・・(笑)
正座ができるようになったのも嬉しい。
そして白いジーンズの足元は白足袋である。
そのうちに少しづつではあるけれど進んでいく過程をお見せできるはず。
やめさせられない限り・・何処にもいないようなとってもお利口さんの私でいよう。(笑)


それはそうと、連休の間に読書もさることながらせっせとよく歩いた。

おすそ分け。(笑)
雪持草とか。三方向から見た姿。真っ白い雪見大福が乗っているように見える。




こちらは浦島草。これは我が家の影の日の当たらないシダの下にもある。
ただ我が家のはまだ葉っぱだけなので写真に撮らせていただいた。


面の話をしていたせいか浦島草の中心が人の目にも見える。
ちょっとブルっ〜。


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ちょっとお口直し。
散歩途中、こんなのも見たよ・・・・(笑)
とっても美味しそう〜♪
カラスの餌食にならないでねん。



これが本当のお口直しかしらん・・・〜・・・(笑)

ではでは・・・またねん〜☆★☆