和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

我が家の金沢仏壇

今日は仕事が一つキャンセルになったのでちょっと時間ができた。
で、今日は仏壇の話を書こうと思う。


二十年以上前、我が家では一大事があつた。
家族が多い時で3人同時に入院した。
ICUには2人入っていた時もあった。
しかも運悪く家が古くて壊れかかってもいた。
実際、水道管が古くて何箇所か破裂し、壁の中や柱に埋め込まれた電気の線は漏電し、最悪な事に台所の天井が落下しもはや使用できなくなったのもその頃であった。この事は以前何処かに書いているはず。
今日はそれよりほんの少し前のこと・・



仏壇の損傷が余りにひどく、何とか修復などできないかを何軒かの仏壇屋さんに相談していた。見に来て下さった方々が口をそろえて「既にどうする事も出来ない状態である」ことを言い渡された。塗りも既に剥げて、その下の木もぽろぽろとはげ落ちる・・・洗いや修復でどうか出来る範囲を越えていた。
家の古さもさることながら、この仏壇を何とかしなければ・・毎日其の事に悩まされていた。

果して仏壇など本当に必要なのか、
一間の大きさのある場所なのだが、この大きさが必要なのか、
買うとしたらどうすればいいのか、
何処で買うのか、
幾らぐらい必要なのか・・・
仏壇を買った後に家を建て直すとするとどのくらい借金しないといけないのか、



しかも1人で対処しないといけなかった。
仏壇のいろはすら知らなかった。
いろんな仏壇店に見に行った。
大きさや金額も知りたかった。
どんな物がいいものかさえ知らなかった。

実家の母親に相談した。
家に仏壇を見に来いと言う。
で見に行った。
色々話を聞いてもきた。
しかし、私は実家の仏壇を何故か良いと思わなかった。
ああ・・物には人と同じように相性と言うのもあるのだと思った。
そしてその時に言われた事・・・
「仏壇をとるか、家をとるか・・」と迷う時、昔の人は仏壇をとった、と言われた。
仏壇は何代も続くし、今まで亡くなった方々が皆そのなかに居るから・・・と。
しかし、幾らそういわれてもない袖は振れぬ〜。

見に行っても今一つ踏ん切れない私にお寺さんが一つの仏壇店の名前を教えてくれた。
仏壇組合の組合長さんで、自らも中々いい仏壇を作る方だと言う。
単に売るだけでなく自分の工房をもち、何人も職人さんを抱えていなさるとか。
ただ一概なのでちょっととっつきは悪いかも・・・と。
奥さんや従業員さんが店に出ているという。


場所を聞き時間を見つけて出かけてみた。
悠長なことなど言っていられない位に我が家の仏壇は損傷してもいた。
もしこんな時お葬式を出さないといけないと大変でもあった。
思ったより小さなお店ではあったがやはり他のお店と余り変わりがなかった。
帰ろうとした時、ふと薄暗い店の奥まった所の仏壇が目にとまった。

意外と小さな仏壇だった。
しかし、私は吸い寄せられるようにその仏壇の前に行った。



今までの仏壇と何処がどう違うかは分らなかった。
しかし、何と表現しようか「一目ぼれ」だった。
値段がついていなかった。

「これは幾らですか?」と聞いてみた。
「お客さん、すいません。それは売り物ではないです。」と。
売り物ではないらしい〜。
だから目立たぬようにこんな隅っこにひっそりと置いてあるのだ。
誰かが注文したものかもしれぬ。

礼を云い家に帰って来たのだが、その仏壇が何とも気になって仕方がない。
翌朝もう一度見に行った。
何処が私の気を引くのか・・・
静に前に行きじっと見る。
何が私の気持ちをこんなにも落ち着かせるのか。
離れがたい気持ちにさせるのだ。

なんとそれから一カ月以上もその仏壇店に時間を見つけては通い詰めた。
しまいに店の奥さんがお茶を進めてくれた。
「お客さん、仏壇をお探しかね?」と。
「沢山色々あるので見て行って下さい。」と。



しかし、他の仏壇には全く興味はわかなかった。
何だかその仏壇が私をとらえて離さなかったのだ。
今思い出してもとっても不思議〜。
当時は40才に成るかならぬかの仏壇の事など全く知らぬ私でもあった。
自分で自分の気持ちを持てあましてしまった。
あれを譲ってもらえないだろうか・・・
誰かの注文品なら同じものを作ってもらえないだろうか・・
そんな悠長な事を言っている暇などない・・

それでも一言もそんなこと口に出すことも出来ずただ仏壇に会いに通ったような気がする。

有る時、老人の先客がいた。
目がちょっと鋭いのだけれど大柄で恰幅が良くて腰の低い人だった。
私が頭をちょっと下げるとその人もちょっと下げた。

「こんにちわ。又見に来てしまいました。」
といつも話をする店員さんに頭を下げてその仏壇の前に立った。


じっと見ること、5分・・10分くらいか・・
やっぱりこの仏壇いいわぁ・・・と心で思う。
こんな仏壇、予算のなかで見つけないと・・とも思う。
お礼を言って帰ろうとした時その老人が私に声をかけた。
「ねえさん、この仏壇の何処がそんなに気にいった?」と。
正直に答えた。
「何でかは分らんのやけど、この前に立つと物凄く気持ちが落ち着くんよ。」と。

沢山色々回ったけどこんな気持ちになるのはこの仏壇だけ、と。
どんな所に行ったのか、と聞くので回った仏壇屋さんの名前をあげた。
「そんならあそこの店の奥の仏壇は見たんやろ?」と聞く。
「ん・・でも、扉の裏の絵が好きじゃあなかった。」と答えた。
「私はどうも扉に人の顔が有るのが好きゃないみたい。どうも品がない気がする。この仏壇のように彫ったお顔の方がひつそりしていて好き。」と。


何でこんなことを聞くの?といいたげな私のそぶりで先ほどの店員さんが紹介してくれた。
「この方はこの仏壇を作られた方で、うちの社長でもあるの」と。
そこでお互いに自己紹介〜。
「毎日のように私の作った仏壇を見に来る客がいると聞いたもんで今日は待ってた」と。
私は仏壇を一つ買いたいのだが何も知らぬままに探し回っていたのだけどこの仏壇が何となく私を呼んでいたような気がする、と話した。

「これを頂くとしたらどのくらい必要ですか?」と聞く私に、
「それは売るつもりはない。と、いうのはお金を考えずに作ったので。ところで予算はいくら見てる?」と聞かれ正直に話した。
「は、は、は・・・そんな程度ではこの仏壇どころか碌な仏壇無理やなあ・・」と大笑いされた。
えっ、そうなん?
そしたら、店の中の入り口近くの仏壇をみせて、
「これならその値段にしてあげるよ」と。
一間の幅の立派な仏壇だった。
丁寧に断った。
身に余る過分な申し出だったのだが、何だかその仏壇は好きになれなかった。

「いいのです。この仏壇の前にいるだけで何とも穏やかな気持ちになれるので来ているだけでこれを買えると思っている訳ではないのです」とも。
頭を下げて家に帰った。少し、みじめな気持でもあった。

たいして予算もないくせに・・と思われたかもしれない。
仏壇の事も何も知らない癖に・・と鼻で笑われているかもしれない。
でもそんなことは大したことではない。
私にとってその前に立って、穏やかな気持ちになれる仏壇が有ると言うことが自分の中での新発見でもあった。
救いのない日々の中での心の解放の瞬間を持てた喜びでもあった。何かにすがりつかないと生きていけないくらい気持ちが毎日張り詰めてもいたし、追いつめられてもいた。この仏壇の前に居る時だけは何とも穏やかで静かな気持ちでいられた。
気に入らない仏壇を買うくらいなら買わないでおこう。気持ちはそちらに傾いてもいた。

2〜3日行くのを控えていたが又出かけて行った。
其の日でその仏壇に固執するのは最後にしよう、と決めていた。
お店も商売だ。未練がましい人間にはなりたくはなかった。
社長なる人はいなかった。ちょっとホッとしながらも店員さんにわびた。
「買いもしないのに毎日来てごめんなさい。この仏壇の前に居る時だけが自分のホッとする時間でした。もう来ません。これ以上ご迷惑はかけられません。今まで本当にありがとうございました。」と。


「いや、社長があれからあなたを待っていらしたのよ。連絡したので直ぐ来るので待っとって」と言われた。
社長が店にこられて静に、でも毅然と私に言われた。
「あんたに、それ譲りましょ。あなたの予算で。」と。
びっくりする私にしみじみと話されたこと・・・

仏壇店を辞めようと思っていること、
最後の自分の満足する作品を作りたかったこと、
海外材料や労力なくしてもう仏壇は作れない時代になってきていること、
幾ら国産の物に拘っても値が張りすぎて今の時代の人に見はなされていくこと、
海外の材料を使うと北陸の気候では仏壇は長持ちしないこと、
海外材料では木が「ガス」を吹いたようになりやがて塗りがこわれ美しさが消えて行くこと、
先行きのない仏壇業界にも陰りが出て来ていること、
自分も高齢になり仕事も段々無理になってきたこと、
後継者もいないことなどを考えて最後の仕事と思って作った仏壇であること、
材料まで吟味し、塗りも何処から何処まで本物であることに拘ったこと、
金もロウソクの灯りで朱に光り輝くように混ざり物を出来る限り排除したこと、
木を彫るのも国内で丁寧に彫りあげたこと、・・・などなど。



木はな・・・東北の一級品の草まきを使った・・・と。
ここはな、銀杏を使かった、と。銀杏はな、物凄く固いねん、よう彫れんのや、でもやはり銀杏でないと美しくはならんねん、と。金はな、混ざり物のないものを贅沢にたっぷり使ったのや、それはな光を当てた時に赤く光らんと仏壇やないねん、混ざり物をしたものを使ってそれらしくは作っても、光を当てた時に冷やかになる、それは心が寂しくなるのや、と。、
もうこんな仏壇を作る人も価値の分る人もおらんようになるやろなあ・・・と。

値段は全く考えもせずに最後の贅沢な仕事やと思って何処から何処まで丹精込めてしかも好きなように作った。
それにあんたがとてつもなくほれ込んでくれた。あんたに譲る以外ないやろ?と。
横で奥さんもニコニコして聞いておられた。
しどろもどろになる私に、
「縁や・・・これが縁というもんや」と。
「この仏壇、大事にしてやってな」と。



こうして我が家に来ることになった経緯がある。
私は予算だけでは余りに申し訳なく出来る精一杯の事をした。
その時はこれでもし家が建てられなくてもご先祖様は許して下さるだろう、とも思ってもいた。
この仏壇が来て間もなく、我が家から葬式がでた。
新しい仏壇買って良かった、と思う間もなく今度は家が壊れた。
住めなくなった家を壊し、新しい家を立てた。その間もその社長がこの仏壇を無償で管理してくれていた。仏壇もその新しい家に合わせて若干縦に手直しする事になったのだが、その社長が自ら台を作って塗りを施して下さった。ぴったりとした具合になりまるで収まる所に収まった格好となった。

新しい仏壇がキチンと我が家に収まって間もなくしてその仏壇店は店を閉め、工房を閉められた。社長はそれから病に倒れ帰らぬ人となった。社長の言われたように、この仏壇が最後の社長の仕事でもあった。社長の死をつげるハガキの片隅に奥さんの書でこう書かれていた。

    「あの仏壇を一番大事にしてくれる人に譲れてよかった
                    ・・・主人の口癖でした。」

この一文で涙がこぼれました。

皆さんにいい仏壇ね〜と言われる度に私はこれ以上の物はないと答えた。
職人の技も誇りも気風も全て満ち満ちているのだから・・・大切にしていきます。






【後日談】

仏壇の特集か何かをテレビで放映するので我が家の仏壇を取材させてほしい、との地元TV代理店からの要請の電話があった。ちょっと迷った。ひょっとしたら社長の生き様や技や匠、職人気質などを少しでも伝えられたら社長に恩返しできるかも・・・と。少し考えたいので1〜2日返事を待ってもらえますか、という私に電話口の方が
「全国テレビに出るのですよ、考えることはないでしょう?」と。
その押しつけがましい一言葉で即、断った。
職人の頑固一徹な技のこだわりなくして、素晴らしいものが出来上がるはずもない。
この方々にはとても理解してもらえそうもない、と判断したから。


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この話はたしか以前tsuiteruさんのコメント返しで触れたはず・・・と思い探してみた。
仏壇や仏事の事を一歩踏み込んでいつも聞いてくださるのは大抵tsuiteruさんだと記憶しているので。

「打敷」だった。コメントはやはりtsuiteruさんでそのコメント返しでちょっと書いたものだった。
ブログに不慣れで何をどうして書いていいのかすら分らなかった私のブログに確かtsuiteruさんさんはコメント返しを読んでレッドスターを下さった。お坊さんの衣装か何かの所だった。こんなお寺やお坊さんの事など誰も興味ないだろうに…と思っていたので、本当に力強い応援だった。


     http://d.hatena.ne.jp/umryuyanagi104/20120809/1344508869


また、先日あるブログ友から珍しいお酒を頂いた。
早速お酒大好きだったこの仏壇を作って下さった社長にも・・・お供え。



ブログをするようになって、本当に色んなブログ友とのご縁が出来ました。
本当にありがたいことです。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。