和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

誰かがきっと見ている〜♪


昨夜昔からの友人と久しぶりに長ーい電話。
その時開口一番言われた。
「何があった?」と。
「ん??・・・何もないよ!!」と答えた。

電話口で即座に
「相変わらず・・・嘘が下手〜!!」と。
「私、嘘、つけない、あるね!!!」と。(笑)

私のブログ更新が最近遅いので何か精神的なダメージか・・と心配してくれたのだ。
私という人間は、めちゃめちゃ繊細で華奢な精神の持ち主であることをよく知る友人なのだ。
( ↑ 誰も信じないだろうが実は本当なのだ。)
とっても単純な精神構造なのだ。一つ何かあるとすぐ皆に知られてしまうような単純でわかりやすい人間なのだそうだ。

実を言うと最近歯の調子が悪いのだ、私。
で・・・今日はその話。


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20歳前、はっきり覚えていないのだが18か19歳あたり・・多分。20歳まではいっていないはず・・時期はとっても不確か。
自分の誕生日すらあまりお祝いしたことのない私である。あまり気にも留めていないのが本当の所。
しかも40年以上も前の事。しかも私は大怪我が人より多い。
何歳の時・・などということは毎回記憶していられないほど。学生時代であるのだけは間違いない。



細い田舎道で私は事故に遭った。
当時私は自転車に乗っていた。
風を受けてルンルン〜♪と走る自転車が案外気持ちよくて好きだった。(今でもそうだけれど)
今ほど車も多くなかったので自転車は田舎道ではとっても楽しかった。
其の時の自転車のかごには塗のお重が入っていた。春祭りか何かで赤飯やお寿司を親戚に持って行った帰りだった。
お重の中には「持ってきていただいてありがと」という先方のお礼のお菓子なども入っていた。
田舎ではお菓子などはとっても貴重だったのでとてもそれを頂けるのが楽しみでもあった。まさに鼻歌も知らず知らずに出ようと言うもの。
お重の蓋には扇面柄の中に松竹梅の絵柄だった・・・はず。
そういうことは妙にはっきり覚えているのだ。そこまでは良かったのだが・・・・

お使いもおわり、もう家に帰るだけ・・・というその時、一旦停止をしないといけない見通しの悪い左の細い道から一台の自動車が飛び出してきた。
びっくりして私はよろめいた。車はキィーーーッ!!!とブレーキ音。
でもその車に自転車はぶつかり少し飛ばされた。記憶では。
私は自転車かごのお重に気持ちが行きなんとかお重をかばわなければ・・と変な姿勢になって転んでしまった記憶も有る。
母からはくれぐれもお重に傷をつけないようにと言い含められていたのだ。
でもその程度ならかすり傷のはず。なにせ当時は私だって反射神経抜群(←ごめん・・・ちょっと嘘〜)の若い姉さんだったのだから。
なんと運の悪いことに私の後ろに車がいた。その車はひっくり返った私をよける事が出来なかった。
瞬時に私の下半身は車の下になっていた。



アスファルト道路があり私の自転車があり、其の上に私、そして後ろから来た自動車がのっかかる・・・という順番。しかも顔は車の下にはならなかったのだが、アスファルトの路面にしこたま頭と顔をぶつけたのだ。後ろから来た車はちょっと停まったようだがあっという間に去って行った。
立ちあがろうとした私は何故か力の入らぬ感覚のない自分の足を見る。自転車のタイヤを支える針金2本に私の左脚のくるぶし付近を刺し貫き、自転車と合体。離れるに離れれぬ様相となる。足の痛みに何か言おうとした私の口は血が喉にまで落ち声が上手く出ない。そして口の中から大量の血と共に真っ赤な小石が何個かでてきた。何事が起ったのかと、慌てて手を口にやると何と顔中血だらけの様相。鼻血も出ていたに違いない。小石だと思ったのは自分の抜けた歯だった。頭も多少打ったのか、頭が途方もなく痛かった。どうもその時点で気を失ったようだ。もう一台の車も顔面蒼白のお兄さんが車から降りてきて、一瞬私を覗きこんでいたようだが、人通りのないことを幸いに逃げてしまっていたらしい。多分怖かったのだろう…。どうしていいか解らなくて逃げたかったのだろう、その場から。免許も持っていない若い兄さんだったのだから。

その状態で人もまばらな田舎道で放っておかれた。何処までも運の悪い私…・・・なんてかわいそうなんでしょ〜。それでも気が付いたら大きな病院の診察室だった。どなたかが知らせて下さったようである。頭のCTなどをとっていたようである。
覗きこむ母の顔は血の気がなかった。母に開口一番「ごめん!!お重は?壊れた?」と聞く私を母がしかりつけた。「こんな時にお重どころでないがね・・・」と。
ひき逃げした方々を看護婦さんや婦長さんはすごい剣幕で非難されていた。
「田舎道だから、誰も見てないだろう。犯人はわからないかも・・・」と。
しかし・・・母は其の時ポツリと私に言った。
「誰かが何処かで見ているもの、この世のことは。」と。

でも私にはそれが人の目にかぎらない、と母が言っているような気がした。
「誰かがきっと見ている」・・・・それは自分の心の目かもしれぬ・・・そんな気がした。
人の目から逃れられても、自分の心が自分のしたことを知っている・・・そんな気がした。
考えすぎか…とも思っていたのだが、
先日母の納骨の日に母のベットサイドにはその言葉の小さな額が掛けられていたのを見つけた。
其の言葉は母の好きな言葉に違いない。
どんな理不尽な目にあってもこの言葉を支えに母は90年という歳月健気に生きてきたのに違いない。思わず胸が詰まる。


ところで、其の時の私・・・
どうも顔面、特に口で路面に打ちつけ、そのあと頭がアスファルトにあたったらしい。最初の衝撃の口の中が凄かった。何本も歯が折れ抜けたものもあった。折れた歯で口の中が此方彼方切れていたらしい。頭はそれからも頭痛が続くがおおごとにはならなかった。足もくるぶし付近の怪我だったのでかなり足を引きづって歩いていたのだが、普通に歩くのに2年以上かかかっただろうか。
事故の後紹介されていった初めての歯医者で、何本か歯を抜くことになった。事故で欠けていて、口の中が毎日切れるのだ。しかもその前の歯を治療するのに邪魔だったらしい。歯を何本かを抜かなければいけないと言われたのだが、何と大きな親知らず一個のその歯を四等分して、それを一つづつ引きぬいていたのだ、私の場合。割る時はノミのようなものを歯に当て木づちで割るのだ、信じられないだろうが…。とてつもなく痛かったし、荒っぽい治療だった。木づちを打つたびに頭蓋骨にまで響き、終わるまで私は正気でいられるだろうか、と毎回真剣に心配したものだ。しかし、結局は根が深くて抜くことができなかった。四つに割られた奥歯は無残にも其のままになった。割られたので段々虫歯となって行きその後が大変であったのだが。今思うと本当にそんな治療が必要だったのかさえ疑わしいのだが、母は心から良い医者だと信じてもいた。田舎にはそんなに歯医者もなかった時代だったこともあるに違いない。見て治療してもらえるだけで母は感謝していたのだ。頭痛もかなりひどかったが、私には歯の治療の方がはるかに恐怖だった。



恐ろしい記憶と痛みが思い出しただけでもよみがえるのだ。
全部の歯を直し、歯茎の下を綺麗にし終わるまで、なんだかんだと10年の月日歯医者にかかったような気がする。
気の遠くなるような治療だった。毎回、否、毎日痛かった。治療していようが治療していなかろうが。しかも全部私費である。
何十針も縫う手術もした。その間仕事にもつき、結婚もし、子供も産み、仕事にも行き、嫁ぎ先では寝たきりの大おばあちゃんの介護もした。子供のおむつと大おばあちゃんのおむつを一緒に洗っていた記憶がある。当時はまだまだ使い捨ての紙おむつなどなかった時代でもあった。今思っても本当に健気な私だった。自分の生活上、住む場所も勤務先も変化するのでそのたびに歯医者も通いやすい近い所に変わらざるを得なかった。一時妊娠、出産で治療を中断した時期もある。しかしながら口の中に塗った糸を何本もたらしながら子育てに頑張っていた。勿論、口の中なので3度の食事は言うまでもなく、ジュース一口飲んでも歯医者さんに消毒に行かねばならなかった。私は食べることも拒否したい日もあった。食べなければ消毒に歯医者に行かなくてもいいではないか、と。其の時にかかっていた歯医者さんは私に怒ってこう言われた。「しっかり食べないと肉が盛り上がらないし、傷の治りも悪い。歯も骨ももろくなるから更に年数がかかるよ」と。食べるしかない。そして消毒に通うしかない。選択の余地はなかった。地道に忍耐強く我慢して従うしかなかった。
最後に口の中の大手術をしてくださった歯医者さんは今は既に他界されているのだが、これで当分終了という手術の後に当時はこう言われた。
「40歳には総入れ歯を覚悟しておいて下さい。もしそれが免れたとしても、もう一度このような手術をしないといけないでしょう。」と。



いつも歯のことはとっても自分にとっては悩みの種だった。
40歳で総入れ歯?可愛そすぎな私。あんまりでない?と。
食べると言うことにあまり関心がないのは望んでも仕方がないことだから。何かを食べるとそのたびに歯医者へ行くのが物凄く嫌だった。10年かかった歯の治療・・・勿論生の歯が何本も根こそぎ取れたり割れたりして一度に治療できなかったので痛み止めも物凄い量を使用していたのだろう。最後の大手術の時は麻酔が中々効かず痛かったわあ〜。それ以降は絶対痛み止めの薬に頼らないようにしようと堅く誓った私だった。

今年、8月に母の葬儀の時に行った実家近くのセレモニー会館。その近くは私が40年以上前に遭った事故の現場近くに建っている。
其の場所を車で通りながら当時のことを思い出していた。随分様変わりをしていて当時の道も、曲がり角も、見通しの悪い作業小屋も今では何処かさえ分かり辛い。路も整備され、新しい建物だけでなく信号さえ田舎道に随分増えている。40年という歳月・・・まさにあっという間だった。

ある意味、今60歳を過ぎてなんとか元気でいるのはとってもラッキーといえるかも。(笑)
当時のお医者さんや歯医者さんに感謝である。ただ最近ちょっと様子が悪い兆しがあった。
顔がすこしばかり、おたふくになっている。疲労が重なると何処とはなしに痛むのだ。
内心、歯医者に行かねば…と思うには思うのだが、又あんな大手術を受けるのかというととっても気が重い。仕事はまだいい、調整できる。若い時のような気力がないのだ。頑張りもない。「何くそ!!」と立ち向かっていく気迫が全くないのだ。
1日伸ばしの日々。愚図愚図と迷う日々。



そんな時に正義の使者のような方・・・コメントでおなじみのSさんが和装組曲に登場。
一度主人に見てもらう??と。
その方のご主人、超有名な歯医者さん。しかも金沢在住。
海外の学会が選ぶ「日本のエキスパート医五十人」とかにも選ばれたらしい。
骨再生学か何かでの分野とか・・・・私は真剣に聞いていたわけではないので此のあたりはちょっとあやふや。
多分、インプラントの分野でだろう・・ちがうかも。(笑)
見るだけでも見てもらうか・・となる。
しかし・・・あの悪夢がよみがえる。

しかし手をこまねいても事は進まぬ。

で・・・・行ってきました、意を決して。
名付けて「月光仮面のお助け歯科クリニック」(古すぎ〜☆)
今は「カリスマ歯科クリニック」かなあ〜・・・いやぁ〜それももう古いか〜♪
歯科関係でどうにもならなくなったときの駆け込み寺ならぬ「すぎおか歯科クリニック」なのだ。
場所は泉野出町・・・・我が家からかなり遠い〜♪
市の繁華街を横切るので交通量の多い日には2倍時間がかかる。
でも考えてみたら、彼女の家はクリニックからさらに遠い。
彼女はこんな遠いところから我が家に通って習いに来てくれていたんだと今更ながら頭が下がる。
「遠い〜」なんて口が裂けても彼女には言えない。


ひゃあ〜・・・ここはエステ?というようなお洒落な外観、そして爽やかな内装インテリア。
何処から何処まで物凄くきれい。すこぶる清潔。無駄なものが一切ないのもいい。そういう信条なのだろう。



看護婦さんも物凄く教育が生き届いていて素晴らしい。
無駄な動き、無駄な会話一切ない。爽やかに清潔感にあふれている。
歩調が決して乱れないのもいい。
バタバタ、ドタドタ、走ったり急いだりがない。
いつも同じ歩調でしかもきびきびしている。
姿勢のよいのが更によい。今の若い方は皆姿勢が悪いので。
何と言っても一番良いのは皆さんの顔、「凛々しい」。
「凛々しさ」と言うのは外観ではない。その方の生き方が顔に出ているのだ。
さらに「毅然」としているのが何とも美しい。
どの方をとってもまさにプロフェッショナルである。
ここまで教育するのは大変だったに違いない。( ← これ勝手な想像)
だって私の知っているお医者さんや歯医者さんのイメージとあまりにかけ離れているのだもの。
時間もきちっと始まり、きちっと終わる。
料金も明確で次回の料金まで明示してくれる。
先生の説明がまた分りやすい。
治療もどれにするかは自分で選択できる。
待合室が個室なので誰とも会わなくてよいというのが更によい。
なにせ歯の治療・・私は素ッピンで行くので正直どなたにもお会いしたくはない、のが本心。
たっぷり1〜2年くらいはかかりそうな感じではあるがそれは仕方ないこと。
仕事の休みの日に少しずつ直して行こうと思っている。


歯医者は痛いもの…というのは既に昔の話なのだそうだ。
麻酔もスコープを覗きながら歯ぐきのなかの神経と神経の間にするので痛みは全く感じないとか。。。まだ未体験ではある。

しかし・・・時代は変わった。


さすが東京からでも診察に通う人がいると言うのは分る気がする。
日々凄まじく進化している。歯医者はもう痛くない時代に突入している。

今回、久しぶりの歯医者さん体験・・・・ある種のカルチャーショックだった。

帰ってきて自分の雑然としている仕事場をみて反省。
「掃除しなければ・・・」と。
「無駄なものは捨てよう・・」と。

    歯医者さんに行くたびに我が和装組曲は更に綺麗に清潔に整理整頓されていく・・・・・
             と実現しそうもない妄想に陥り一人ほくそ笑むこのごろである。(笑)



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最近読んだ面白い本・・・・



悩む力 (集英社新書 444C)

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心の力 (集英社新書)

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Art 1 誰も知らない「名画の見方」 (小学館101ビジュアル新書)

Art 1 誰も知らない「名画の見方」 (小学館101ビジュアル新書)




「誰も知らない名画の見方」は予想外に楽しかった。
最初は余りに期待していなかった、というのが正直なところ。
絵に関してはちょっと分らない不得意分野でもあるので。
 (得意分野はあるのかい?はい!!病気、怪我結構いろんな庶民レベルの知識満載です、私。)

写真も綺麗だが、文が本当に分りやすくて一気に読み終えた。
絵の見方がちょっと変わっていると言うか、いろんな角度を楽しませてくれるというか。
西洋と東洋の光の在り方、絵の存在意義、そしてその絵の描かれた時代や流れ、歴史的背景と言うものから考察され解説している。
全く絵のド・素人の私でさえ案外絵っていいなあ・・と思ってしまう。

私的には絵に使われる金箔の話が面白かった。
何故か着物の絵柄にも通じていたから。
又、キャンパスの色の話も興味深かった。
日本では白い紙や絹、西洋では褐色や灰色がキャンパスのペース・・・・そこから展開される光と言うものの効果。それが住宅様式や宗教観にまで発展していく。
白い色という物に根本的に向き合う姿勢が違う。日本画では「白」は塗らなければ皆、白である。一方西洋ではキャンパスには色が付いているので「白」はあえて塗らないとつかない色である。その辺から色というもの、光というもの、反射すると言うこと、そんな「白」の効果を読み説いてくれている。



余りに興味深かったので光の効果を更につきつめた「フェルメールの光とラ・トゥールの焔」まで読んでしまった。
絵に興味のない方にこそ読んでほしい本かな。
なんと、同じたぐいの三冊目もすでに手元にある。

   「セーヌで生まれた印象派絵画」
 
まだ読んでないので、そのうちに読みたい。