和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

地味な話  〜縮緬・ちりめん〜

最近着物の話がなおざりなのでちょっと初心に戻り着物の話・・・

教室で一番多く質問される事・・・それは「縮緬」の事。
とっても地味な話。

しかもとってもややこしい領域である。
話し始めたらドンドン迷路に入り込むような気がする。
しかしながら何とかわかりやすく説明しようと思う。
大筋だけでもツラツラいきたい。
興味のない方はスル―してくだされ。
興味のない人には退屈なだけなので。


        



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縮緬ができるまでは着物は綸子や羽二重という糸や織り方が多かったのだが、これらは如何せん物凄く皺になりやすい。そこで皺になりにくい糸や織り方が考えられそれで考案されたのが「縮緬」である。


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         【線路に乗ってもいないのに、既に脱線〜許されたし・・♪・】

京都の北西部に丹後地方がある。雨が多く湿度が高いこの地方では奈良時代から絹布が織られていた。
しかし江戸期に京都で縮緬が織られるようになると俄然丹後での絹布は衰退し村中が存亡の危機となる。
年々餓死者が出、食べられなくなった人たちは村を去り村自体も衰退していき勿論年貢も納められず苦難の時があった。
何か村を救う名案はないか・・と智恵を絞った。
京都で縮緬の技術を学んでくることに決まった。学ぶ・・と言うのは体の好い言葉である。
実際は奉公に上がり主人の承諾を得ぬままそのノウハウを丹後にこっそり持ち帰る・・・いわば「技術を盗んでくる」のである。勿論命がけである。追っ手もかかるし見つかれば殺されるのは必須。何処もその秘伝を守ることが自分たちの生活を守ることに直結しているのだから。
「誰が行く?」というときに誰も名乗りを上げない。恐ろしい使命なのだから。
そんな時、村の今後と村中の仲間の生活を守るために名乗りを上げた男がいる。
それが「絹屋佐平冶」である。
何年も京都の西陣で懸命に働き糸撚りやシボの出し方、ちりめんを作るノウハウを手に入れる。
「この世で見るべき物はすべて見つ」と言って壇の浦に沈んだのは平知盛・・(笑)
    前回のブログを引きづっている私さ〜。
縮緬の為に見るべきことは全て見つ」と絹屋佐平冶が言ったかどうかは知らない。
    言う訳がない。

とうとうある夜、店を出奔。丹後に急ぐ。勿論すぐに追手がかかる。大変な人数の追っ手だったと聞く。山の中を数日間飲まず食わずで彷徨ったようである。むろん村にも追手が既にいる。村には帰れない。
村中で絹屋佐平冶を山中に長い間匿い追っ手の目を逃れて食べ物を運んだようである。
やがて絹屋佐平冶は名前を変えひっそりとその手法を村に伝えたとか。
今でも京都の人は「絹屋佐平冶」を盗人といい、丹後地方の人々は村の危機を救った大恩人という。
終生絹屋佐平冶と言う名前に戻れなかったようである。

雨が多く多湿な丹後地方は他の作物が中々実らないのだが、絹織物の製造という点では非常に恵まれ現代でも紋縮緬が多く織られている。とはいえそんな丹後地方にも時代の波はひたひたと押し寄せてはいることはいる・・・去年丹後地方に訪れた時にしみじみと実感した私である。





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で、遅まきながら本題に入る。縮緬・・・ちりめんの話。
いつもながら本題の前が長すぎでおますね。すまんです。

まず「縮緬」は「片寄り糸」という糸を使う。
「片撚り糸」というのは一本(単糸という)、又は二本以上の糸を引きそろえてS字又はZ字の撚りをかけた糸をいう。
この二つの撚りの方向で様々な風合いの織り物が生まれるのだ。
Z字の撚りは「Z撚り」もしくは「左撚り」といい、S字の撚りは「S字撚り」もしくは「右撚り」という。

久しぶりに使うお絵かき帳で心もとない。
しかし・・・ないよりはいいだろう。
どんな時も何処までも自己肯定と自己擁護。
面の皮の厚さはかなりのもの・・・いやいや年よりは皆そうではないか・・
そうでなくては長い年月生きてこられない。


話を戻す。ちりめんはその片撚り糸を必ず使うと思ってもらっていいかと。
撚りは一メートルの間に2000〜4000回とも言われている。


もう一つ、予備知識としては織物の緯糸の数え方は「越」(こし)という数え方をする。
経糸は「一本、二本」と数える。1反の着物には経糸8000〜10000本の経糸が用意されている。
緯糸(よこいと)は「一越、二越」(ひとこし、ふたこし)と数えるのだ。
これが分るとちりめんの名前の由来も分ろうと言うもの。

【一越ちりめん】

名前の通り、緯糸は右撚り(S撚り)と左撚り(Z撚り)を一本づつ交互に織ったもの。
光沢がありシボは程良く細かいシボとなる。


【二越ちりめん=古代ちりめん・鬼シボちりめんともいう】

これも名前からして連想できるはず。
緯糸は右撚りと左撚りを二本ずつ交互に織ったもの。
一越に比べてシボは大きい。


三越ちりめん=ウズラちりめん】

何もデパートが作ったちりめんではない。
緯糸を右撚りと左撚りを三本づつ交互に織ったもの。
時には三本以上のものもこう呼ぶ。(六本というのもある)
縮緬のなかでもっともシボが大きく深くなる。


この三種の縮緬緯糸は全て水撚りの強撚糸(八丁撚糸)を使う。
水をかけながら高速で糸に撚りを掛けるやり方である。
水を掛けることで撚りに対する強度を上げるためである。

ここまでは一般的な縮緬についての知識。
なんとなく、分っていただけただろうか。
着物にちょっと知識がある方は此のあたりはお手の物だろう。
普通は此の程度を知って入ればよいかと思う。
織った後その生地を精練して糸の表面のセリシンを溶かして取ってしまう。
で撚りは戻ろうとする。撚りを戻すことによって表面の凹凸がはっきりくっきりしてくるのだ。
この精練の技術が日本独自のものでありまだまだちりめん技術で世界に負けない領域でもある。
精練も丹後ちりめんを見学に行った時のブログで少し触っておいたはず。
各地のノウハウにかかわる領域なので細かくは出せないし、見学も推薦人がしっかりしていないと見せて頂けない。
というのはここが日本のちりめん技術の仕上げ場所。日本の織物を幾ら真似してもまだここだけは全くまねできない最後の砦と言ってもいい所だそうで厳重な警戒&警備のなかでの作業現場であった。

この話は機会があればいつか教室で・・・





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さてここからは二級や一級を受ける方の為の知識。
一応目を通されておくのもよいかと。
「片撚り糸」を使った「一越ちりめん」「二越ちりめん」「三越ちりめん」とは別にもう一種類ある。
それが「諸撚り糸」を使ったちりめんである。いわゆる「変わりちりめん」と言われるものである。



「片撚り糸」は一本又は二本の引きそろえた糸に右撚り、もしくは左撚りの撚りをかけた糸であるのは既に説明した。「諸撚り糸」はその糸に更にちょっと工夫が凝らされている。
一本または二本引きそろえた糸に下撚りを掛け此の糸を更に数本引きそろえて下撚りとは逆な撚りをかけた糸の事を言う。この「諸撚り糸」を使用して織られたちりめんが「変わりちりめん」である。

変わりちりめんが開発されたのはちりめんの「ちぢむ」という弱点を克服すべき作られ開発されたものである。「ちりめん」が「水撚りの強撚糸」(八丁撚糸)を使用されているのに比べて「変わりちりめん」は「水撚りの強撚糸」に更に「乾式の強撚糸」(イタリ―撚糸)を組み合わせてふっくらした風合いを保ちながら縮みを軽減させているという利点がある。この変わりちりめんは昭和32年に開発されたとされているのだが各産地や各工場でのノウハウがあることと、更なる工夫がされ続けていると言うことらしい。ここから先は各産地、各工場の門外不出というところ。


一越ちりめんを織るように「諸撚り糸」を使って織る・・・それが「変わり一越ちりめん」といえる。

ところで今一般的に出回っているのがいわゆる「変わり三越ちりめん」である。
じゃあ今までのように「三越ちりめん」を織るように「諸撚り糸」を使って織ったのが「変わり三越ちりめん」かというと実は違うのである。ここがややこしい所。
「変わり一越ちりめん」の右撚りと左撚りの糸の間に「諸撚りの甘撚り糸」を織りこむのである。
「甘撚り」というのは撚りのゆるい糸である。


物凄くややこしくわかりにくい話であるのだが、一級を受けようと言う方々は一応此の程度は目を通し200字程度の簡単な説明位はできるようにしておいた方が良いと思う。此のあたりの事は教科書などにはほとんど出ていない。八丁撚糸やイタリ―撚糸、イタリ―撚糸の時のフライヤーという機械などに関しては昨年丹後ちりめんの里に見学に行った時に写真に撮っているのでそれを参考にされたし。

「撚り糸」「片撚り糸」「諸糸」と共に「壁糸」「駒糸」「節糸」など加工工程の違いに拠る糸の名称も絶対に押さえておくべきだろう。

もう一つ・・・・ついで。
 ☆ 繭の種類や製糸方法による名称
      (絹糸、座繰り糸、手紬ぎ糸、手紡糸、絹紡糸、玉糸)
 ☆ 製糸過程に拠る名称
      (生糸、練糸)
 ☆ 糸素材による名称
      (野蚕糸、天蚕糸、柞蚕糸)

など一応説明できる程度には網羅されておくことを勧める。これは二級の方も同様。

久しぶりの着物の話。
やっぱり着物って奥が深いね。
こういうことに関わったことを嬉しく誇らしく感じると同時に恐ろしくもあり、後悔もするという一時。
ただこういう勉強をしていくと着飾ることに余り魅力を感じなくなるから「あ〜ら・・不思議!!」
むしろ一枚の着物、一枚の生地に凝縮している先達の知恵や技術、匠の技そしてそこに至るまでの歴史に感動する。
こういうことこそ勉強する意味があるのではなかろうか・・

先は長い・・・深い・・・・濃い・・・果てしなく続くさ〜・・・・
気が遠くなりそう〜・・・・頑張りましょう〜☆

           心、新。
    


この写真はいつも朝の散歩コースにいれている長田菅原神社。由緒ある神社である。
朝六時前後に通るのだがいつも神殿のなかは開け放され照明が付けられ既に清掃の後がはっきり分る。
境内を白い着物と水色の袴で落ち葉を掃いていらっしゃる宮司さんにに遭遇することも・・。
何十年も粛々と続けられていることに感動すら覚える。。

どんなことにも粛々と従事され、黙々と仕事をこなされている方々の上に日々の生活は成り立っている・・感謝・・(合掌)