和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

同級生からの電話

何日か前・・・同窓会のハガキが届いた。
嘗てブログでも書いたことのあるあの僻地の小学校の時の。



参加しようと思っていた。
高校や大学の時の同窓会とは違い、小学校の時の友達は本当に感慨無量のものがある。
前回出席した同窓会はたしか30歳くらいの時だった。
私は自分で着物を着て参加した記憶がある。
当時の小学校の先生方にもお会いした。
それ以降初めての同窓会である。
今年は一人の先生しか存命でないとも書かれてあり、是非お会いしたいとも思った。。
京都からその日参加する同級生もあることを年賀状で知り、私自身も楽しみにもしていた。
ただ日にちも余裕があり返事を出さないでいた。

夜・・小学校の時の同級生の方から電話。
うちの近くに住んでいる方で時々ストアで出会う人だ。
しかしここ一年位顔を見ていない。

「ねえ〜・・・同窓会でる?」と。
「うん、出る!!」と即答する私。

私の返事に意外だったのか
「・・・・・」と黙っている。

「何?!」
中々話をしないのでちょっといらっとなる。

「出れるの?」と聞いてくる。
「うん、出る予定。」

一体何なのだ。出る!!と言っているのにと。

意を決したように彼女が話す。
「私・・・見たのよ。ストアで。あなたを!!」と。
「そう?声をかけてくれればよかったのに。」
「えっ??・・・・・いいの??」と。

とにかくかみ合わぬ。
何が言いたいのだ。
愚痴愚痴と時間を取る人ではなかった。
何か含むところがあるようだ。

言いたいことがあるなら早く言ってくれ〜・・
私が参加したら嫌だという人でもいるのか・・・
私が出ると困るのか・・・いらぬ憶測までしないといけないではないか。
彼女も幹事に名を連ねていたのかもしれない、とふっと思う。


ちょっと話がないならサッサと電話を切ろうとする剣幕の私に彼女は話したことは次のようなことだった。

何カ月か前、私をストアーで見かけたらしい。
両の手に松葉杖をついて買い物をしている。
しかも付き添いもいない。
レジで釣銭を落とし拾うこともできない無様な私だった。
髪は白髪が染められていなくて服もまるで介護を必要としている老人のように(老人にちがいないのだが・・)見えたとか。
しかも怪我をした直ぐとも思えぬくらい私の様子は憔悴しきっていた。
長引いている疲れも出ていたように見えた。
彼女ははっきりとした言葉に表さなかったが無様でみじめでとても知り合いに見られたくないような見苦しい格好だったに違いない。
しかも両の手に少しの荷物を分けて更に松葉杖をつきながらピョコタンピョココタンと歩く姿が物凄く哀れに見えたらしい。
頭の病気か怪我かで半身不随になったと思ったらしい。
でも同窓会を前に思い切って電話してきたらしいのだ。
仕入れた知識を皆さんにも披露しないといけないだろうし。

「残念でした。物凄く元気やで!!!」とちょっと意地悪く言う私。

「あれっ??じゃああの方は人違い??」と聞く。
あの方と言われてもなあ・・・どの方?と笑ってみせる私。
でも多分私だと思うよ、と答える。
松葉杖でストア行っていたし、レジで釣銭ばら撒いた。膝が曲がらないので曲がる膝でなんとか手を差し伸べるが松葉杖をかたげると滑って転び、しかも置き上がるのは既に一人ではできなかった。片脚も松葉杖もまっすぐで起き上がろうとするのに邪魔以外の何物でもなかった。何人かの人に支えられやっと立てた私だった。まさに・・・・・泣きそうな気分の時も何とか泣かずにやってこれた。(笑)
そうか・・・あの情景をみたら、声はかけられないね・・・と笑った。

   (注)「松葉杖をかたげる」もひょっとして方言?「かたがる」の変化したもの?
      標準語でいうと「かたむける」かも・・・


「治ったの?」
「まあね〜♪」

そして近況報告となる。
確かに私のような年齢で松葉杖をついて買い物に行くとそう見られるに違いない。
ご近所さんも何だか声をかけづらい状態だったらしいのも後で知った。
ただひたすら松葉杖で歩き、黙々とリハビリに打ち込んでいた。雨の日も、風の日も、さらに雪の日も。
自分で何とかしようとして上手く出来ずに無様な姿で人前にでることは人によっては恥なのに違いない。
家族がいる、友人がいる、はたまた電話一本で届けてくれるストアもある。
そんな姿で人前に出ないといけないのか・・そういう状況に置かれていることがみじめだと思っているに違いない。


当の私は人様の思惑など気にしていられない心理状態だった。
治すことが優先順位第一だったから。しかも仕事に穴は開けられなかった。
がむしゃらだった。必死だった。憐れむ人の目に構ってなどいられなかった。
何より直ぐ誰かに頼るのが物凄く嫌なこの性格もあった。
それが家族であっても友人であっても。心底優しい方々であっても。
何事も自分ですることに意味がある。そしてそれがリハビリに続く道だと思っている。
仕事場ではお客さんや生徒さんに気を使わせたくはなかった。
平気でいたかった。少なくても表向きは傷みなど皆に感じさせたくはなかった。

ただ嬉しいことに今は本当に順調な回復。順調すぎる回復である。
出来ないのは正座だけとなった、そして今までのように走ること。

それも出来るようにしよう・・と今は思っている。
きっとできるようになる・・・できるようにするさ。

毎日自分の生活を自分の力で、誰かに頼ることなく何とか過ごしてきた。
有難いこと・・・嬉しいこと・・・
そしてここまで傷みや苦しさに負けずに回復した自分が今はとても誇らしくもある。

ご心配いただいた皆さん・・ありがとうございます。

多分今からが正座に向けて最後のリハビリの仕上げ。長くなるでしょうが負けずに頑張る所存。
なんと今は傷みの全くない状態。日常生活は何不自由なく出来るようにもなった。
お医者様、婦長さん、看護婦さん、整体の先生、薬剤師の皆さん、
各種サプリメントやリハビリ体操、ヨガなどを指導くださった皆さん、
毎日の食事療法を指導してくださった方、
メールや電話で私を秘かに励まし慰めてくださったブログ友の皆さん、
御心配をかけました。そして本当に色々ありがとうございました。




【ps.】

脚の筋肉をつけるための散歩が、痛くて辛くて脂汗の毎日にめげそうになっても
私の背を押して歩かせてくれたのが散歩の途中で出会う沢山の鳥たちだった。
雨が降っても雪が舞っても、餌を求めて飛ぶ鳥たちに
人間に生まれてきたのでストアにさえ行けば食料が買える自分に感謝した。
ストアに行くことを愚図愚図と嫌がっては駄目だと自分で叱咤した。

多分鳥なら怪我をした段階で終わりだったろう。
ストアーへ松葉杖で行く往復を、辛くても痛くても怖くても・・無様でも、みじめでも、私は本当にありがたく思おうと感謝したものだ。
同情の目で思い切って私にどうしたのか聞こうとする方々さえ私は敬遠してきた。
少しでも手伝ってくれて私の手伝いを・・と申し出てくださる方々にも私は丁寧にお断りをしてきた。
話せば長い・・・愚痴が出る・・・後悔もでる・・・そしてその時間がもったいない・・そんな時間があればちょっとでもすべきことをしたかった。前を向いていたかった。
優しい方々にまで、ある意味邪険な私でもあったように思う。

「ここまでリハビリ頑張る人もそういない。凄い回復力やなあ。」と病院関係者の皆さんに褒めていただいた。
一歩も歩けず車いすだったのを知っている方々なのだから。
しかし、自分の強い意志で治ったのではないことを私は知っている。
鳥さんたちの存在がめげそうになる私の肩をいつも押してくれていたのだと思う。




特にこのカラス。
羽を広げると穴があいていて空が透けて見える。雛の時に大けがをしている。
勿論高く飛べない。飛ぶ時は物凄い勢いで羽をばたつかせている。
屋根の上に上がるのも何回にも分けながら必死に繰り返し一段づつ高さを上がっている。
必死に羽をばたつかせて地上50センチくらいの枝にまず留まる、しばらくして必死にばたつかせて塀の上に留まる。
そういうことを繰り返してやっと屋根の上に留まるのだ。
それなのに自分の食べる餌を必死に自分で調達している。
ちょっと多く手に入った時は我が庭の片隅にそっと埋め枯れ葉で隠している。
この子を見ていると何だかいつも涙が出そうになる。

偉いぞ・・・と。
頑張れ・・・・と。
見習わないと・・・と。

屋根の上の姿はどんな鳥より格好いいよ。
我が家の庭を住処にしてくれてありがとう。

           本当はあなたのおかげでここまでこれたよ、私。