京都は一年間の観光客がおよそ5000万人。
そのうちの2割の1000万人が11月の最後の一週間に集中するとか。
京都の人口はおよそ150万人。とすれば11月の最後の1週間で京都は2倍の人口となる計算になる。
それは数字の上でのことで実際はもっと多いらしい。
その1週間は京都の紅葉を見るためのものなので嵐山、嵯峨野あたりは更に集中した人の波となる・・・
と、いうのは私の乗ったタクシーがいつもは京都駅から宿泊のホテルまで5分で到着するはずが30分かかるという時の運転手さんの会話のおまけに聞いたことだった。
私は金沢に帰る前に一つ見ておきたいところがあった。ホテルから京都駅に行く途中ちょっと寄ってほしいところがありそれをお願いした時の運転手さんも同じようなことを言われていた。
電車の時間に間に合わない可能性もある・・・と暗に言いたかったようだ。
丁度知恩院の前あたりで門の左手には真っ赤に紅葉した紅葉があった。
混んだ門前で観光客が記念撮影していた。
「写真だけでも撮られますか?」と聞かれる。
ちょっと心惹かれた、それほど美しい紅葉だった。
確か知恩院の前だったなあ〜・・・友禅染の祖、宮崎友禅斉が扇絵師をして生活の糧にしていたのは・・・。
そんなことを思いながらタクシーの運転手さんに「無隣庵」に急いでもらう。
電車の時間は変更できないスケジュールだった。
「もし無隣庵も凄い人なら中に入らないので・・・」と返事をしていた。
無隣庵・・・そこは今回ちょっと見たかった。
思いがけず、観光客はいない・・・ラッキーだった。
無隣庵は山県有朋が京都に建てた別荘である。
借景は東山である。
今回見たかったのは無隣庵の中でも洋館。
洋館の二階天井部分。
部屋の入り口。
山県有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎この四人が日露開戦直前の日本の外交方針を決めるいわゆる「無隣庵会議」を開いたところ。
私はその洋館の天井と壁をちょっと見たかった。狩野派による金碧花鳥図壁画で飾られている部屋として何かで読んだため、ちょっと見ておきたかった。
残念ながら撮影は許可されていたがフラッシュは禁止。何度か試したが壁に描かれた花鳥図はほとんど写らない。
肉眼ではかろうじて見える。室内は暗い照明で窓は光が入らないようにされていた。
格天井は案外綺麗に撮れたのでお見せできる。
まさに豪華絢爛。色を抑えて黒と金のみを使用している。
無隣庵は明治時代の名園として国の「名勝」に指定されている。
私以外この日は何と・・・二組の観光客。
そう・・・案外地味な名勝なのだろう。。
ゆっくりと堪能してきました。
母屋も茶室もそして洋館も。
雄圖(ゆうとう)四海を打蓋い 力は山を抜くとても
千々にまつわる運命の 絆切るべき太刀はなく
英雄哀れ三千の 子弟に身をば任せけり
これは琵琶曲・西郷隆盛の謡い出しである。
無隣庵会議の26年前、西南戦争で西郷隆盛は自決するのだが、その西郷隆盛と山県有朋の意見の相違が決定的になったのは更にその10年以上も前の事。
孤軍奮闘破囲還 一百里壘壁間
我剣既折我馬倒 秋風埋骨故郷山
今挑戦している琵琶曲でもある。
私にはかなり無理のある曲かも。。。
「曲の好き嫌いを言うには10年早い!!!」と我が師。
「御意!!!」どんな曲でも喜んで・・・(笑)
我が家の南天・・・・
皆鳥に食べられてしまった。