和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

黒留袖の女(ひと)

今日は私の印象深い生徒さんの話をしようと思う。


その方は和装組曲がオープンして間もない頃に紹介でいらした方。
静かで大人しい感じの無口な方だった。
でも私を見る目の光がとても力強くパワーとエネルギーを感じる方でもあった。
いらして開口一番・・・
「息子の結婚式の時に黒留袖を自分で着て出席すると、皆に宣言してしまったので何としても着られるようにしてほしい。」
と言われた。

聞くと、着物の着方どころか畳み方もよくは知らないという。
今までお母さんが全てなさっていたので全く片付けもしたこともない、着るのも美容院任せで今まで来られたとのこと。
黒留袖は完全なもので、いわゆる比翼の付いた最近の簡単なものではなくとても着にくい本式のものであった。帯もどっしりしたいいものであったが昔のもので重い。小物類の類いも腰ひもでベルト類も一切ない。これは難物だぞと自分に言った記憶がある。

足袋の履き方から始めないといけない。5回で美しく着るには余りにも無謀すぎる。せめて10回とまではいかなくても7〜8回は必要・・という私。知り合いが5回で着られたというのでここに来たのに、と言う。彼女にもできるので私も頑張ってする、とのこと。普通の着物と黒留袖とは大きな違いがある。それは家紋が5個付いていること。後ろには背中のど真ん中に紋がこないといけないし、胸の二つの紋(抱き紋という)は同じ高さにこないといけない。しかも黒留袖はどっしりと重い。しかも本式。本式のこの黒留袖、今の美容院の方は多分見たこともないかも。着崩れしやすいのだ。着崩れしやすいからこそ、今改良されて比翼付きの黒留袖になった経緯もあるのだ。普通の着物とははるかに数段難しい。数段どころかステージが違うはず。もし私なら比翼付きの物に仕立て直しするだろう。
私は十回でも難しいかも・・・と内心かなり不安。でも物凄く一生懸命するととても真剣な目で仰る。じゃあ・・・やってみようとなる。本人の気持ちがとてつもない力を発揮したりもするのだから。私も一生懸命教えるのであなたも必死でやりなさい、約束してくださいね、・・と。私自身が物凄いプレッシャーだったのも記憶している。でも私の必死さとは違い彼女は所詮着物だと高をくくっていたようだ。

3回目が済んだ頃だったろうか・・・・
一通りは着物も着れるようになったし、帯も何とか結べるようになった。
自分で着た・・というにはそんな感じである。
物凄くきれい、ではなかった。
本人もそう思っていらしたに違いない。
「素人が何とか着た、という感じやね?」
と、批評する私。いたって正直な感想。
何時も通りといえば何時も通り。正直すぎるのは昔も今も一緒。

あくまで普通レベルだった。

私の言葉に彼女がカチンと来たようだ。
「ここなら綺麗に着られるようにしてくれると聞いたのに。所詮5回はこんな程度なのね。」
と。不服をもろに言葉に出してまるで私のせいだと言わんばかりの挑戦的な言葉だった。
そこで私の気持ちがブチッと見事に切れた。
そんな言葉を聞き流せるほど私は大人ではないのだ。(お婆ではあるのだが・・・)

「あなた、最初に約束してくれましたよね?一生懸命すると。
申し訳ないけどとても必死に練習しているようには見えませんでしたよ。
私が1人一生懸命でも駄目なのよ。当の本人ががむしゃらでやらないと。
第一、あなた家で1度も練習してないでしょ?どんなものも練習しないで手に入れられるものなんてないの。努力するから手に入るのではないの?自分の努力しないことを棚に上げその言い草はないでしょ!!!やる気がないなら代金は皆返しますから帰っていただきましょ。」と。
当時の私は勇ましかった。(笑)
今なら静かに訥々と話したかもしれない。いやいや、それはないかも。。。
今でもブチッといくかも・・・。
本人も意地になるし、私も言い出した以上後に引けない。


険悪な雰囲気のやり取りが幾つかあり、後2回の分、互いに必死にやろうと言うところで落ち着いた。今までは毎回、「今日したことは一週間後まで3回は練習して来てね。」と帰りしなに言っていた私の言葉などどこ吹く風とタカをくくっていたのに、その日は初めて帰って練習するといって帰られた。そう・・・練習しないで物凄く上手になるなんてありえないのだ。練習しなくてもできる事は誰でもできるのだ。
私はと言えば、次来て練習してなかったらその時は私は絶対我慢しないぞ、と言う位の鼻息だった。
彼女も彼女で凄く練習しても綺麗に着られなかったらその時は承知しないぞという剣幕で帰って行った。




1週間後・・・・・
私の前で着た黒留袖、見事なくらい素晴らしかった。
まるで別人だった。
本人いわく
「毎日練習し、指が腱症炎になった。痛み止めの注射をしてもらいながら練習した。毎日は勿論、朝晩練習した。」と。

多分仕上がりとしてはこれ以上の出来はなかったかもしれないのだが、如何せん、時間がかかり過ぎる。
目をつむっていても、歌を歌いながらでも着れるような状態に持っていきたい。
なぜなら結婚式の当日は多分平常心ではいられないはずだから。しかも結婚式ともなれば、親のすべき事が山ほどあるはず。

色々アドバイスと修正をしながら更に今度は結婚式の直前に5回目をしよう、と打ち合わせる。この時彼女と私の間にうっすらした連帯感と言おうか、絆と言おうか、初めて彼女と私の間に信頼関係に似た何とも言えぬ一体感が出来ていたと感じた。ともに協力していい作品を作るパートナーみたいな・・・・。
更に練習を重ね、彼女は何と15分かからずに本式の重い黒留袖を着ることができるようになっていた。鏡を使わない我が教室方針なので頼るのは自分の指の感覚と練習からくる経験だけである。鏡を見ないからこそ美しく早く着られるとも言えるのだが。(鏡を見ることからくる錯覚という領域に入り込むという危険がないから。又目で見て確認しながらの手作業でないので物凄く早く着る事が可能なのだ。)


私はと言えば、多分式の当日、美しく着ていると信じてはいたのだが物凄くハラハラ、ドキドキしていたのも事実。
どんなアクシデントがあるかわからないのもこれ現実の話。一生懸命努力した姿を皆さんの前に披露できますように・・と祈る気持ちだった。


結婚式も終わり教室に結婚式のスナップ写真を持ってきてくれた。

素晴らしかった。
衿の抜き、掛け合わせ方、白い衿の出方の美しさ、紋の位置、丈の長さ、裾のつぼまり状態、御主人の横に寄りそう彼女にはキリリとした雰囲気と堂々とした品格が備わっていた。美容師さん達に着せてもらった他の黒留袖とは明らかにステージが違っていた。
「う〜ん!!凄い!!」
と唸る私に彼女が言った。
「とにかく会う人、会う人、皆に褒められた」と。
何処で着せつけてもらった?と聞かれて自分で着た!というと誰も本気にしてくれなかったと。それほど素晴らしかったとか。そうだろう、このスナップ写真でこれだけなのだからと私も舌を巻く。彼女の言葉を借りれば
「年老いた母が一番喜んでくれて皆にうちの娘の姿を見て、見て、・・・自分で着たんだって、綺麗やろう?と来る人来る人にいうので恥ずかしかったわ」と。素敵な親孝行できて良かったね。
「自分で着る」と宣言したからには何としても着ようともう最後は必死やったんよと。
そう、必死だから頑張れるし、そうやって着ることが素晴らしいと思うのである。
二十歳のお嬢さんならいざ知らず、五十や六十歳になってお人形さんのように人に着せてもらうのはちょっと恥ずかしいと思うのは私一人だけだろうか。

この写真、HPの「受講生の声」で使わせてもらえないと頼んだが、断られた。
話は書いていいけど写真は駄目なの、と。彼女の書いてくれた文章がHPに載せさせていただいた。(今のHPにはないのだが)
その時初めて彼女が有名な知る人ぞ知る画家さんだと分かる。新聞にも挿絵を描いているのだと全国紙の名を告げられる。しかも御主人も名のある方で、アップは無理だと私も納得。
しかし、根性のある方はやはり何をさせても中途半端なことはしないと改めておもったものだ。
今でも和装組曲では語り草の方の一人となる。

結婚式のシーズンで時々黒留袖を目にする。
ホテルでタクシーから降りられる方やロビーを行き来する黒留袖の方を見ながら
黒留袖を自分で美しく着ることができる人は一体どれだけいるのだろう・・・と思ってみた。
多分ほとんどの方は美容院にお願いするのだろう・・・

そんなことを思って彼女の凄さが懐かしく思いだされたので今日は暇にまかせて書いてみた。


結婚式の話なので写真は松竹梅を使おうと思いきや・・・・
梅の枝にどうも鳥が巣を作っているのか・・・はたまた断念したのか・・・たまたまこんな状態で遭遇した。
もっと枝が茂っていたのに、巣を作る作業中に枝を伐採されあまりにも巣を明らかにされた状態なので断念した・・・というのが本当のところかも。
計画がいろいろなアクシデントで中断されるのは人も鳥も一緒・・・〜・・・
努力、忍耐、そして不屈の精神は大切〜♪

どんな鳥かはわからぬのだが、鳥さん、頑張れ〜♪♪
そしてこれから黒留袖に挑戦する方々、頑張れ〜♪♪