和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

縮緬が出来上がるまで〜♪

行ってきました。見てきました。
遠かった・・・暑かった・・・・疲れた・・・・結構死んだ〜。

しかし、素晴らしい自然の美しい所でした。
10日は与謝野町、写真は縮緬街道。

一時期、一世風靡したであろうこの場所では今では機音はほんの2〜3軒から聞こえる程度。実に静か。
観光客も歩く人もほとんどいない。
コンビニもなければ自動販売機もない。
昔ながらの田舎町。
ベンチもなければ木陰もない。
それでも町の方々はとても穏やかで優しい。

ちりめん街道では実に長い時間過ごしたのだが、縮緬で築いた大豪邸「尾藤家」を見ることにほとんど時間を使った。

以前から見たかった場所でもあり感激に時間直ぐにたってしまった。
このことに触れると多分私はブログで許されている一カ月分の写真の容量を
使いきってしまいそうなほど。一歩進むごとに写真をとる私に案内の方もあきれ顔。

尾藤家の座敷や庭園、七つもあったと言われている土蔵に限らず、トイレの床やお風呂場の窓、押し入れの天井までも写真に撮る人は初めてかも…と笑われてしまったくらいである。そんなにしてたら一日かかるよ・・・と。
瞬く間にデジカメのSDカードは一杯になる。
教室の皆さんには追々色々話してあげたいと思う。

特に11代当主夫人の現存する衣装は素晴らしかった。
これは着物好きの為にも何時の日かブログでお見せしたいと思う。
しかしながら今日は本来の目的のための縮緬工場に的を絞りたい。

夜は次の日の為に、網野町へ移動。

漁の船が美しく並び、悠然と飛ぶカモメの姿や時折聞こえるウミネコの声を聞きながら過ごす一時。
遠く暑く疲れた一日だったのだが、こういう風景の中に身を置くと幼いころの原風景がよみがえり心に沁みる。

何時間も炎天下の中、歩き続けた日だった。
午後だけでも2〜3リットル以上の水を飲んだ日だった。
足は象さんのようにむくみ、夕方には履きなれたはずの靴に足の指しか入らない状態となった。

なのに・・・不思議だ。
夕暮れのこの風景を見た瞬間、「来てよかった」と呟いている私がいた。
ここには美しい日本がまだある。自然の風景の中にも、そして人の心にも。


11日は本来の目的である、大手の縮緬工場と丹後織物工業組合の加工場見学。

原料となる生糸から染めを終えて消費者の私たちの手に入るまで様々な工程を経る。


    生糸→糸繰り→整経→撚糸→製織→
    精練→乾燥→巾出し→検査→出荷→
    

意外と着物を勉強する方々にとって書物だけでは分かりづらい分野。
友禅や刺繍、箔押しなどはきらびやかで直ぐに人目を引くし見ていても楽しいのだが。
縮緬が出来上がるまではそれに比べてとても地味な領域。でも一度どうしても見てみたかった。
出荷された後の白生地は染色されて市場に出回り染め加工を施されるのだが、今回は縮緬の出来上がるまでのこの工程を少し話したいと思う。
今回実際の縮緬工場の作業や精錬加工所に見に行って来たので写真などを使って出来るだけ簡潔にまとめようと思う。
江戸小紋の時の廣瀬染工場での余りに細かいブログは専門的すぎて難しいというご意見があったため、出来るだけわかりやすく書きたいと思う。しかし・・・書いているといつの間にか力が入るのだ。これもいいたい、これも知ってもらいたいと。興味のない方はどうぞスルーしてくだされ。

1行目の緑の色の部分は

      丹後ちりめん織元「たゆう」
            田勇機業株式会社
      
         

         

2行目の茶色部分は

      丹後織物工業組合
            〜丹後織物中央加工場〜

での見学を許されたのでそこでの話となる。
ともに頂いた資料をもとに説明しようと思う。



1、生糸
   * 繭 *
   一粒の繭から1200メートル程度の生糸がとれる。
   品質が良い縮緬を作るにはこの原糸の良し悪しが重要となる。
   いかんせん、現在は95%以上中国、ブラジル産の輸入に頼るのが現状である。
   着物一反分に必要な繭はおよそ3000個。

   * 生糸 *
   製糸会社によって加工された生糸がカセの状態で箱詰めで工場に入荷される。

ここからが縮緬工場の出番となる。
経糸緯糸(ぬきいと)は若干違う。


★ 経糸 ★     
2、糸繰り

     カセになっている生糸を糸繰りにまきとる。

     

     

3、整経 
     経糸を織機に掛けるために整える作業。枠に巻き取った糸を一定の張力と長さで整え大きな枠に巻き取る。
     30反〜50反の長さの経糸の長さ。

     

     普通はこのあたりまでの写真。でその先をお見せしよう。

     

     

     一体どんなふうに糸が続いているかと言うと

     

     

     砂を引いた上に糸枠を置いている。糸枠を安定させるためである。
     写真だと糸の太さや動きが分かりつらいが天井にはこんな風に糸が交差している。

     
     
     何度も何度も繰り返しながら必要な長さと幅を出せるようにする。
     最終的には経糸はこういう形におさまる。

     

     糸の色は工場に寄って色々違う。
     これは太さを表したり撚りを識別するためのもので最終的には精錬で白い糸となる。 
     
 
★  緯糸 ★     

4、合糸

     
      所定の太さに糸の本数をあわせる。

      

      

  緯(ぬき)たき 
    糸が乱れぬように縄で縛り袋(右下の白い布)に入れてから、撚糸を容易にするため熱湯に入れる。

      

      

     熱湯に入れた後
    
       

   撚糸は二通りのやり方がある。
       < 湿式八丁撚糸 >
        水を落としながら横糸に1メートルあたり3000〜4000回の撚りをかける。
        手前の糸に常に水が掛けられ切れるのを防ぐ。
        
        

        
       
        
       < 乾式イタリー撚糸 >
        片撚り糸 、諸撚り糸、壁撚り糸、変わり撚糸など
        これは中々企業秘密に属することかな・・・と勝手に推測。
        使う糸や寄りの具合、合わせ方、など出来の面白さが変わってきそう。

        

        


       このあたりの撚りの掛け具合ややり方などは各工場のデリケートな部分なので余り詳しく聞くのも失礼なのもあり、又難しすぎて聞いても理解不能。写真は差しさわりのないところだけ。

   上管巻き
      

      

   杼(シャトル)に収められたらこんな感じ。
   機械に緯糸をとおすのにセッティングされる。
   一反にシャトルは1個とは限らない。見学は3個の物を見せてもらった。
   縮緬に寄って色々変化する。 

      


5、製織

ここで経糸緯糸全て準備できたので製織となる。
一般に言う「はたおり」がこの工程。
ジャガード機に経糸緯糸が掛けられ縮緬もしくは各種紋意匠縮緬が織られるわけだ。

      

      

      

      

      


     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここまできたら一応生地ができたといえる。

此処までは「たゆう」さんというちりめん工場を見せていただいた中での説明だが、こういう縮緬を作る方々がまだ丹後には細々とながらも多くいらっしゃるようだ。

前日の縮緬街道では見学不可のところをご厚意により見せていただいた。
おばあちゃんが1人でコツコツと全てを賄っている所だった。
見学者が多いと仕事にならぬと見学不可の看板。
私はこの方の雇い主とも言うべき方(「ちりめんや・上田」さんと言う方)とコンタクトを取り入室と撮影の許可を頂いた。

かつては皆でやっていた家内工業。今はたった一人で働いている。
機音の中で日がな一日の生活。なるべく静かに邪魔しないという条件で見せてもらう。
掃き清められた床、雑然としがちな機場内には塵一つない。几帳面な方に違いない。
中々普通はこうはいかぬ。
油の落ちそうな場所には新聞紙などが置かれている。
にこやかに「どこからいらはった?」と聞かれ答えると「遠いところをようこそ。」と。
何処までも静かで穏やかで達観された方だった。

壁に掲げられた写真を見た瞬間、胸が詰まりもう話を聞くことができなくなってしまった。
この方の大切な方々なのだろう。亡くなられたに違いない。
静かに頭を下げて退出。外に出た瞬間涙がこぼれた。


縮緬でも紋意匠縮緬といわれるもの・・
写真のものは男性の成人式や貸衣装などに使用される。

女性用、縫いとり縮緬。打ち掛けや振袖、留袖に使われるとか。

これらはまだ精練されていない。
こういったものが精練所で綺麗に処理されるべく持ち込まれるのだ。

1160余りの組合員が集まり丹後織物工業組合なるものができていて、中央加工場として縮緬の精錬をまとめて行っている。「たゆう」さんのような大きなところから、この方のように一人でやっている所を何軒か抱える縮緬屋さんまで色々なやり方があるようだ。

中央加工場は35000坪の土地に4000坪の建物の中で一日1300点余りの製品を加工しているのだ。
今回写真撮影は許可されなかったのだが一時間余り工場内を説明を受けながら見学できたので簡単に説明をしておこう。ちなみにこの日の工場内は50度に迫る勢いの暑さ。

中央加工場に製品入荷。

       

各業者から製織された製品に入荷番号が付けられどのような工程を希望するかに寄って加工伝票が作成される。


6、精練
   精練は粗練・本練・漂白・仕上という工程を経て、絹糸に含まれている約25パーセントのセリシン、及び不純物を取り除く作業で絹本来の光沢、風合いを引きだし純白の生地に仕立てる。
   
7、脱水
   精練の工程の後、仕上げ台に積み上げ、遠心脱水機、真空脱水機を使い脱水する。

8、乾燥
   乾燥方法がシボや風合いに影響するのでその製品ごとに乾燥方法を選択する。
   (シリンダー乾燥、ショートループ乾燥)
   乾燥した後今度は適当な湿気を与え、柔軟性を増加させる。   

9、幅出し
   織物を業者から指定された長さ、幅に熱固定する。

10、検査
   検査し織物の合格、不合格の決定をする。
   合格印、不合格印、ブランドマーク、日本の絹マークなど

    

    

     


  こうして検査を終えたものはケースに入れられ持ち込んだ組合員に納品される。
  
  私たち消費者がお店で反物を手にする時、案外見落としているのだが、ちゃんとした工程で作られているものは上のような合格印が端の白生地についているのだ。案外柄や色や刺繍・金箔など加飾ばかりに目が行くのだがそうなる前の白生地の段階だけでもこのような複雑で手間のかかる気の遠くなる作業と工程を経ているのだ。


【最後になりましたが心より感謝】

   田勇機業株式会社 丹後ちりめん織元「たゆう」さま
   ちりめん屋 上田さま
   丹後織物工業組合 中央加工場 さま
   与謝野町の方々 
   網野町の方々
   旅館の女将さん

また、そこで働いていらっしゃる全ての皆さま、本当にありがとうございます。
たった一人で見学などさせてもらえるのかと心配しましたが、皆さんの温かい励ましや心にくい気配りや更に親切で丁寧な説明に心より感謝いたします。本当にありがとうございました。仕事の手を留めていただきましたことをここにお詫びいたします。

行くまでは本当に遠いなあ・・と思いつつ、多分もう二度とこんなチャンスはないかも・・と一念奮起して出かけた私でしたが、地道にコツコツとしかも粛々と自分の仕事をこなしている多くの老若男女の皆さんを見て本当に頭が下がりました。
着物の世界はかつてのような隆盛を極めることはもはやないでしょう。
ただ静かに粛々と頑張っている皆さんの底力を見せていただいた気がします。
本当に好きでないとやれませんよね。
私も頑張らねば・・という思いを新たにし、出来る所で出来るだけの事を出来るようにしていこうと、思った次第です。

今度は網野町でひっそりと機を織っている方々とゆっくり膝を合わせながら話をしてみたいと思いました。
朝、港の風景の中で、又夕方、日の落ちる中で何処からともなく聞こえる機音が何時までも心に残っています。
機音を何処か懐かしく感じるのはもう私くらいの世代で終わりかもしれませんね。

この二日間でかかわった全ての方に感謝いたします。
ありがとうございました。

長々と取りとめのないブログを懲りずに読んでくださった皆さん、ありがとうございます。
つたない文で中々思いを伝えられずもどかしい私ですが気長にお付き合いくださりありがとうございました。

本当に最後になりましたが、今回この方がいなかったら絶対実現しなかったはず。

       IKUちゃん、ありがとう〜☆

あなたの行動力、企画力、実現までの根回し、などなど感服しました。
何かを企画すると他人はなんでも批判したり、不足のところをついてきたりするものです。
実際「なら、自分でやってみろよ!!」といつも思う私です。
アイディアをだしたり、企画したりは誰でも無責任な位何でも言える。
じゃあ、それを実際実現まで持っていける人がどれだけいるか・・・ほとんどいない。
しかも責任まで持ってやりとおす、と言うことの如何に難しいか。
今回はIKUちゃんに脱帽だねっ。大したお人だわ。

往復の道中での類を見ない人生談義もいたく心に残ります。
人生山あり川あり茨あり、乗り越え、笑い飛ばし、一歩一歩 歩みを進める・・・
誰でもできる事やないですよ。
そして往復十時間以上の車の運転、ありがとうございました。

途中あなたに車から捨て去られて(笑)、又再び拾い上げてくれるまでの何時間、
いかに毎日車の生活に馴れきっているのか痛恨の極み。(大げさでもなんでもない。)
本当に勉強になりました。
色々本当にお世話になりました。ありがとう〜♪

最後の最後はここをご紹介して終わります。

  「網野神社」

延喜式』の神名帳に記載されている。
創立は10世紀以前。現在の本殿は大正11年に建てられたもの。
天井を写真に撮らせていただいた。
これがいわゆる「格天井」である。帯や着物に時々登場する格調のある柄がそもそもここから。


この神社の一角に、大正14年丹後縮緬同業組合関係者に寄り織物神と養蚕神を奉祀することになった。

それが
  
   「蚕織神社」(こおりじんじゃ)   「蚕」は正しくは旧字体。 

社名は貞明皇后大正天皇の皇后さま)が定められ大規模に鎮座祭りが斉行されたようだ。当時は網野町民、郡内養蚕業者数千人が集まったようである。それ以降毎年四月に網野町民、養蚕業者、縮緬業者など多数参列し鎮座祭がおこなわれるとか。

   

   

書物に良く出てくる織物関係の神社なのだが中々読み辛い字でもある。
丁寧に詳しく説明をしてくださった宮司さん、ありがとうございました。
正しく覚えているのだか・・ちょっと不安。(笑)


折角網野町まで来たので・・・・・

   



直ぐ結果の出るもの
直ぐ目に見えるもの
直ぐお金になるもの
        誰でも人はそういう物に飛びつきやすい。

でも本当の力と言う物は直ぐ結果の見えるものにはないのではないかしら・・・

   
           粛々と自分の信ずる「着物道」に邁進します。(笑)