和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

琵琶の演奏会で〜♪

昨日は県立音楽堂で演奏会「琵琶と邦楽の会」・・
素晴らしい方々とご一緒させていただき身に余る光栄の一時。
もう生涯に二度とないかも・・
さらに今日は色々な方に聞きに来ていただき感無量。


    本当に忙しい折にありがとうございました。
         この場をお借りしましてお礼申し上げます。





昨日は客席に思わぬ方の姿。今日はその方の事を書こうと思う。
私の人生で出あった素晴らしい人の10人に入る方に違いない。

















一時からの開演なので私はお客様で混む前に会場の後ろから雰囲気だけ見に行っていた。
その時、時間も早いのだが年配の女性のお二人が前の方に座っていらした。ちょっと見た時は知らない方だと思った。そのうちの一人も私を見られた。でもお互いに見ず知らずの人と認識したような・・・視線がすっとそれた・・・・そんな一瞬。
そのまま控室に戻ってきた。しかし・・・あの目・・・何処かであったような・・・。いやいや知らない人だ。椅子に座っているのでしかとは言えぬが、小柄で顔つきなどもちょっと覚えがない。でも心にかかる眼つきだった。


過去の記憶を手繰ってみる・・・

「知っている人か?」・・いや、知らぬはず。

















琵琶の絃の音を調整していた。そして「ハッ!!」とした。
あの目・・・人の心の奥底まで見抜くようなあの目・・・知っている人だ。
知っているどころかあの方だ。
ああ・・何故に直ぐに気がつかなんだ。
ほぞをかむ思いだった。
客席まで走った。
















「私が小さくなっておばあさんになって別人にみえた?」
と言われた。そう・・・その方は私の思っている方だった。
だけれど全く昔の風貌とは別人だった。
目以外は。



















30年はお会いしていなかった。私よりも大きくがっちりとして物凄いパワーと人を寄せ付けぬオーラのある方だった。そのくせ会う人が引き付けられないではおられぬカリスマ性の持ち主でもあった。中でも人を見るときの目が鋭かった。ニコニコと話を聞いてくれ、相づちを打ちながらも、こちらの真意を聞き逃さないぞという鋭い目の光があった。
心の暗い部分まで光をあて人を見抜く何とも言えぬ凄味のある目だ。

ここではT先生としよう。
金沢どころか石川の方なら書の道ではどなたでも知っていらっしゃる大家である。
















その先生、子供さんが産まれその後その子が小児まひを患われた。しかも重度の小児まひだ。昔は珍しくなかった。今のように接種だ、ワクチンだと予防がされていなかった。

それが原因で離婚させられ母子で路頭に迷う人生。先生は小児まひの子供を置いて勤めには出られず家で出来る仕事から始められた。小さな家を手に入れられ(買われたのか借りていらしたのかもしらぬのだが)文房具などを家で売られていた。学校の近くと言うこともありそこそこ生活は出来たらしい。
そして片手間に子供たちに書道を教えられ生活の足しにされていた。


























それが生来の頑張りと負けず嫌いもありメキメキと書道界で頭角をあらわされ、かな書道では石川県で多分右に出る方もいない・・とまでのぼりつめられた。
日展や各種書展、個展など書道界でのご活躍は連日新聞などで拝見していたが、私は先生の日常が素晴らしいと思っていた。
奥さまや家族に支えられての書展ではない。
ご主人や子供さんがたに助けられての作品づくりでもない。
ご自身が生活の担い手であり、なおかつ寝たきりの子供さんの介護をしながらの書道なのだ。
誰も1人として助けてはくれぬのだ。
小児まひの子供さんは今では60歳。昨日も先生と話していたのだが、成人の日を迎えれるかと思っていたのだが大きな年になってしまった・・・と。
















最近では介護だのデイサービスだのあるが当時は動けぬその大きな子供さんを背中に括り自宅のお風呂に入っていらした何十年なのだ。勿論、三度の食事は食べさせてあげないといけない。オムツは変えてあげないといけない。しかも会話することもできぬ相手である。1人置いて出かける事の出来る時間はほんの少し。どれだけ辛かったろう・・・どれだけ不安だったろう・・・どれだけ血の涙を流しただろう・・・そして気の狂いそうな毎日だったろう…
10年、20年でも並みの苦労ではやっていけぬ。
なんと60年の介護生活、しかも先生が生活を支えて行かないといけない毎日。

当時はよく言っていらした。いつも神様に願ったのは
「どうか私の生きている間にこの子の最後をみとらせて」と。
「私の望みはそれだけ・・・」と。
60年そう願い続けた先生の人生の過酷さに誰がたちうちできよう。



















昨日の先生は私よりも大きかった方なのに今では私よりも小さくなられていた。
「あの当時より10センチは縮んだのよ。体重だけでここ一年間で15キロおちた。」と。
でも
「先生の目は生きていますよ。」
という私に豪快に笑われていた。

斉藤千霞先生は
「あんな女性はもう日本にはでないかも・・」
とまで言っていらした。
ちなみに斉藤千霞先生はカーネギーホールで書のパフォーマンスをされたことのある方で、この日のT先生は斉藤先生の絡みでご来場されていたようだ。

















会が始まる前に先生と話していたらフワフワしていた気持ちがすっかりひきしまった。
美しいお姐さん方が一杯いらした、華やかで雅な着姿の綺麗どころも一杯いらしたのだが写真は撮らないでおこうと決めた。
沢山の方々から頂いた花も、会場も、自分の着物姿も昨日は一切写真に撮らないでおこう。
誰かに見せるための演奏ではなく、今日はこの機会を与えていただいたことに感謝し、演奏だけに集中しよう・・と。
今の自分にできる精一杯の演奏を先生に聞いていただこうと。下手でもいい・・出来る精いっぱいの事にしっかり向き合おう。

真摯な気持ちでキチンと今に向き合って地道にコツコツと一日一日を重ねよう・・・そう改めて誓った日でもあった。
















演奏会の写真がなくてごめんなさい。

折角いらしてくださった皆さん、ゆっくり話を出来ずにごめんなさい。

でも私には物凄く自省できた感慨深い一日でした。
全てに感謝。ありがとう。。。。。