和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

羅生門

   

     花見小路の出衣    霞も匂ふ紫や   
   
     薄紅の花曇り     やがて催す春雨の

     都大路をしめやかに  降りしづめたる夕哉   
  
  と羅生門・・・は謡いだす。

  羅生門と書いて「らじょうもん」もしくは「らしょうもん」と言う。

昔は城の城郭を羅城(らじょう)と言ったので正確には「らじょうもん」と呼ぶのかも知れぬ。今は「らじょうもん」「らしょうもん」どちらでもよいらしい。「羅生門」は平城京平安京の正門。朱雀大路の南橋にあり北端の朱雀門と相対する。平城京羅生門跡は奈良県大和郡に、平安京羅生門跡は東寺の西にあるとか・・
二重閣の瓦屋造り、屋上に鵄尾(しび)を置く。南北に各五段の石段があったらしい。

「出衣」(いだしぎぬ)は女性が牛車の簾から衣を出すことで十二単の袖口とか裳の褄を出すことを言う。
一方童の牛車では衣の裾や袴が簾からでている。簾から見える衣で牛車の中の人が女性なのか、子供なのか・・が分かったのである。ちなみにその出衣の地模様や色でどのような身分の人が中にいるのかさえ或る程度分かったというのだから一部とはいえ衣装の威力は凄いものがあったようだ。

ところで、芥川龍之介の「羅生門」は今昔物語に材をとったもので学校の教科書に出ていたので良く知られている。
盗人と死者の髪を抜いて鬘にしようとする老婆の話。

私の今日の話は琵琶の「羅生門」・・
琵琶の羅生門謡曲を題材に作られたようだ。

源頼光(みなもとのらいこう)は四人の郎党と酒を酌み交わしていた。
源頼光はあの有名な酒呑童子を成敗したことで有名な源氏の大将。
四人の郎党も、碓氷定光、卜部季武渡辺綱坂田金時源頼光の四天王と言われた猛者達。
宴もたけなわ、1人の家来が皆に言う。

      如何に我が君又方々も聞き給え 近頃不思議なる事こそ候え
      
      九条の羅生門に鬼住みて 暮るれば人の通らぬ由

      世に専らの取りざたと 語り出ずれば一同は

      片唾(かたず)を呑んで詰め寄せたり


中でも正義感の強い渡辺綱は 訳のわからないことを言う物ではないとその男をとがめた。
こんなに国が収まっているときに人々をあおるような事をいうのはいかがか・・・と。
如何に正義感からとはいえ満座の中でいわれれば、言われた方ももはや後には引けぬ。

      こは心得ぬ仰せ哉 さては某偽りを申すとおぼしき候よな
    
      さまで不信と思しなば 行きて御覧じ候へ


優雅に笛を吹いたり漢詩を歌ったりしていたのに一変して意地の張り合いとなる。

某が嘘をついていると御思いか・・・ではその方が行って確かめてきたらどうか・・
心臆して某が行けぬと思うておいでか・・・行って某見届けてくればいいのであろう・・


      某必ず見届けん 一つは君の御為なり また一つは武士の弓矢の意地

源頼光は必ず見届けてもし鬼がいるなら成敗して来いと 印の札と自分の太刀を綱に渡す。
そして綱は羅生門へと出かけていく・・・というのが始まり。

実はこの曲、葛生桂雨氏の作詞、永田錦心の作曲。
今私が今日から取りかかる琵琶の曲。


ちょっと素敵な語りなので一緒に皆さんにも堪能していただこう〜・・・・♪

    既にその夜も初夜過ぎて 廂端をめぐる玉水の
 
    音すごすごと更け渡り 池の蛙の泣く声に

    降りまさり行く雨の脚 妻戸に当たる風の音も

    幽鬼の如くなり  


「初夜」というのは夕方より夜中までを言う。夜中より朝方は「後夜」という。        


    さては鞍より飛んでおり 羅生門の石段に

    標の札を立て置きて 帰らんとする後ろより

    むんずと兜の錣(しころ)をば 掴んではなたぬ金剛力

    すはや鬼神と立ち抜きて 切らんとすれば忍びの緒

    ぷっつと切れて思わずも 綱は壇より飛び降りたり

    あたりは黒雲巻き起こり 閃きわたる稲妻に

    鬼神の姿は現れたり


旧字体の漢字がこれでもかと出てくる。で・・・IMEパットで入力するが上手く表示されないかもしれないものは現代字に変えて入力したので原文字体と多少違うところもあるのでご容赦くだされ。
鬼神は牙を噛み鳴らし、ひらりひらりと縦横無尽に飛び違い、綱と組み払いながらも剣比べ。
ついに鬼神は綱に腕を切られてしまう。

    鬼神は黒雲に早飛び乗りて声高く 時節を待ちて取るべし

    叫ぶ声さえ物凄く 愛宕の方へと一条の

    火焔と成りて光行く    


綱は羅生門で鬼を成敗する。鬼の片腕を切り落とし自分の館に持って帰る。
日本中に鬼を成敗したと綱の名は一躍上がるのだが・・・・
切り取られた腕を奪還すべく鬼が綱を狙う。


安倍清明が綱の屋敷に結界をはり鬼が入れないようにするのだが・・・・
老婆に化けた鬼がまんまと綱の屋敷にはいりこむ・・・という「茨木」がその続編となる。


三年ほど前、ある月刊誌で
   ・今夢中になっていること
   ・五年後にしたいこと
というインタビューを受けた時、私は琵琶に夢中になっていた。
で・・・
   ・今夢中になっていること
       ・・・・・・琵琶の弾き語り
   ・五年後にしたいこと
       ・・・・・・「本能寺」「敦盛」「羅生門」「茨木」を琵琶で弾けるようになっていたい 

と答えたように思う。実に大それた望みだった。
琵琶の師匠はその記事を読み、「は・は・は・・・十年かからないと無理やなあ〜」と言われた。
「本能寺」と「敦盛」は演奏会で既に弾かせてもらった。
今年、来年あたりで「羅生門」「茨木」を弾けるようになりたいと思っている。
今年の演奏会はちょっと間に合わないが来年あたり、弾きたいと今から挑戦〜・・・

茨木は最後は鬼の「ガ・ハ・ハ・・」笑いで終わるのだが、何とも小気味が良い。

黒澤明監督の「羅生門」で暗さを出すために雨として降らす水に墨汁を垂らして重い臨場感を出したと何かで読んだことがある。これでもか、これでもかの暗いものは、その暗さが自分の中に入り込んでくるようで、ちょっと苦手。
芥川龍之介羅生門もしかり・・・

それに比べ茨木は、単純な綱を鬼がまんまとだまし、我が腕を奪還し高笑いで「愚かや・・綱!!」と消えていくその場面が痛快、愉快。時代劇のノリで聞ける。
腕を切り落とした綱よりもいつしか鬼に味方している自分がいる。自分も一緒に「ガ・ハ・ハ」笑いをしているのだ。
とはいえ・・・いくら茨木が好きでも・・・・何事も順番を無視するわけにいかぬ。

今日から新しい琵琶曲・・・「羅生門」。。。
暗さに負けないで謡わなくては・・・・。
ちなみに「鬼」と言われてはいたが実際は暴れ者たちの盗賊たちではなかったか・・という解説もある。
あるにはあるが、あまりに現実的にならずあくまで架空の世界を楽しみたいと思っている。