和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

吹雪の思い出〜♪

雪国に生まれ、雪国に育った・・・
他に何処にも居を構えたことはない。

今でこそ雪は少なくなった・・・
が、私の小さい時は38年の豪雪(こちらではサンパチの豪雪という)ほどではなくても
その前後に雪の多い時は何度もあった。

今日は暇にまかせてそんな頃の話・・・
私の小学校の2年・・か3年生の時のこと。
どちらかが覚えていない。
ただ1月だったことだけは記憶にある。
お正月の書初め大会の後だった。
その年は雪の量もさることながら、 天気が荒れた年だった。

私のいた小学校のことは以前触れた。
廃校寸前の僻地のような学校だった。
その小学校から一番遠い部落に私は住んでいた。
学校までの距離が遠いのもあるが隣部落まで遠く、家が一軒もない海辺の場所だった。
浜から吹きつける寒風が真っ直ぐな道を一直線に吹き付け、学校に行く時より帰りが海からの寒風に立ち向かって歩くようで大変だった。

一面田畑しかない厳しい人気のない道、しかも風をさえぎるものは一切ない道の為、2か所、避難小屋が設置された。
避難小屋というと聞こえはよいが、竹と筵を縄で留めただけの簡単な小屋で、勿論冬の間だけの設置である。
縄文時代の人の住居のような形で海から吹きつける風や吹雪を防ぐため海とは反対側に入口がぽっかりと開いていた。勿論応急の小屋なので詰めて入ると子供なので10人くらい立ってギリギリ入れる広さだった。
小学生はランドセルを背負っているので10人はきついか・・・。

でもその小屋が作られると「ああ、冬が来た」と子供心に思ったものだ。
その小屋があるだけで一時浜風から逃れられたし、雪道をただ前の人から遅れないように、逸れないように黙々と歩いているので小屋に入り一息つけるのも嬉しかった。寒さのため足踏みしながらほんの2〜3分の休憩をとり又出発。子供心にもいざ出発となると気が引き締まったものだ。
小屋は川を挟んで一直線の道に2か所。
その川では冬、雪が積もり道と川の区別がつかず落ちて流された子がいた・・・と大人たちの会話の端々で聞いていた。何時の時代の話なのかも知らぬ。
昔の川や橋・・柵もなければ欄干もない。
作れば農作業にたちまち支障をきたすためだ。
昔はその川から水を汲んだり田畑に水を引いていた唯一の貴重な水源だった。
私が中学生のころには欄干だけは出来ていたような記憶がある。

その日は朝から天気が怪しくて給食の時に全校放送がかかった。
「ピンポンピンポーー〜ーーン〜・・♪」のどかなチャイムも懐かしい。
吹雪が強いのと雪が多いので集団下校をするので5限の授業が済んだら各自集団下校場所に速やかに集合すること・・・とかなんとか。瞬間子供たちの間に緊張が走る。今日は猛吹雪なんだ・・・と。学校の中にいたら案外わからないのだが。
いつもの集団下校は子供たちだけで集まって帰る。一番前は6年生、最後は5年生、間に小さな子たちが入り小屋で人数を点呼しながらまた一緒に歩く・・・というように。
雪が深かったり、吹雪で視界が悪い時は大人たちが部落から迎えに来てくれた。3人か4人くらいだったと思う。縄を輪にしてはりその中に子供たちをいれ、子供たちは片手に縄を掴み縄から出ないようにして歩くのだ。前と後ろに大人たちがいて風よけになってくれていたし、脱落したり縄から手を離す子が居ないように注意してくれていた。
その日もまさにそんな天候だった。

授業が終わり皆おいて行かれないように緊張の面持ちで帰り仕度を急いでいる時、私は職員室に呼ばれた。愚図愚図と躊躇する私に「すぐすむから」とせかされた。呼んだ先生は私が一年生の時の担任の先生でその年は習字の指導をする先生だった。書道の展覧会に出すために明日までに直しておいで・・・と、諸諸注意を受けた。すんなり終わるはずが私の心はそんなところになかった。「皆に置いて行かれたらどうしょう〜」という心配で頭は一杯。職員室の窓の外は雪が時には右から左に、時には下から上に吹き上がり窓ガラスは半分は雪で覆われていた。ちゃんと聞いていない私に腹を立てた先生は「大体あなたという子はいつもそう・・・」とか言い出した。何時までも続きそうな剣幕に思い切って、悲鳴にも似た声で私は言った。
「私!!!展覧会なんて出さんでええの!!皆と一緒に帰りたいだけ!!」と。

言ってしまったら後戻りはできぬ。「あとは知らぬ!!」・・の気持ちだった。
そのまま先生の顔も見ず、先生の返事も待たず、先生に背を向けた。そして走りに走って集合場所に急いだ。
校舎の中には既にだれ一人いなかった。玄関の下駄箱に向かう。
「廊下は静かに!!」「走らない!!」の文字だけが此方彼方に貼ってあった。
「構ってはおれぬ」・・・
長靴をはくか履かぬかの勢いで転げるように走った・・・・
お願い・・・!! 待っとって・・・!! 置いて行かんで・・・!!
身体だけが先に走っているようで足が気持ちについて行っていないようだった。
不安で、心配で、心臓はドクドクと脈打っていた。
誰でもいい・・誰か居て・・・私を一人にせんで・・・!!

集合場所には案の定、だ〜れもいなかった。
風が「ひゅー・・〜・っ」
雪が「ぴゅー・・〜・っ」

泣きそうな気分だった。
待っててくれると思ったのに…
おいて行かれた。どうしょう〜・・・
しばらくは呆然としていた。。。

どれくらいそこで迷ったのか、すぐだったか、長かったか・・。
とにかく私は歩きだした。歩くしかないのだ。
家に帰るにはじっとしていてもダメなのだから。
自分が動くしか家に近づく方法はないのだから。
既に誰の足跡も雪の上にはなかった。
皆が出発したのはかなり前に違いない。
追いつけるものではないことを子供心にも敏感に感じ取っていた。

一直線の道までの間に部落は3か所点在していた。
部落のあるところは大丈夫だ・・・自分に言い聞かす。
歩き馴れているし目印がある・・・自分を励ます。
あの傾いた電柱はあの子の部落だ・・・順調に進んでいることを自分に言い聞かせる。
富山の薬の看板の小屋だ・・・ここまで来たぞ、一人でもできるぞ・・心で繰り返す。
あの柴犬のいる家だ。給食で残ったパンを上げていたその犬を目で探す。
犬でさえこの天候に納屋の中に入れてもらっているようだ・・・何だか悲しい気持ちになるのをこらえる。

家と家の真ん中を歩くのだ・・何度も言い聞かせる。
問題はあの一直線の家のない道である。
一つ部落を越え、二つ部落を越え、最後の部落を越える。
あの道が近付けば近付くほど胸は押しつぶされ不安で一杯になる。
果たして一人で歩けるのか・・・恐ろしさに震える。
あの長い道をたった一人でこの吹雪の中を・・・失敗した時を考えまいとする。
まずは一つ目の避難小屋まで行こう・・まずはそれが目標、そのあとはそのあとで考えよう。

だがしかし・・・吹雪で1メートルと視界はないのだ。
子供の腰まである雪をごぼごぼとかきわけ進む。
真っ直ぐ歩いているつもりでも、溝らしき所にどぼどぼつかり進む道を修正したり・・・
道を歩いているつもりが気がつけば田んぼのイネの切り株を長靴の底で感じたり・・・
踏みつけて滑って転んでみると足元に腐った白菜らしき葉があったり・・・
ああ・・・ここは田んぼだ・・・畑だ・・・・道に戻らなければ・・・
でも右に行くべきか、左なのか・・それすらわからなくなっていた。
どうしていいのか、ただのろのろと起き上がり、また、歩きそして転び雪にぬかるむ・・惰性で動いていた。

どれくらいそうして進んでいたのか突然・・
雪の中にごぼごぼと右足が沈み込んでいき、反対の左足で踏ん張ろうとしたらその足の方が更に深みに入って行った。
手でそのあたりの雪につかまろうとするのに掴まれない。腕や肩だけでなく身体まで雪に沈んでいく。
こんなに山ほどある雪なのに一つも役に立たぬではないか。
足も手も・・・身体全体が沈んでいくその時に初めて気がつく。
「ここは川だ!!」
いっぺんに目が覚めた気がした。
恐怖にどうやってそこから逃れたのか覚えていないのだが、多分今来た道を引返したようだ。
気がついた時、私は雪の上に座っていた。
身体はほとんど水につかり濡れていたのだが何とか這い上がったのだろう。
左の長靴がない。靴下も履いていなかった。
何人もの上の姉ちゃんから履き続けて今では禿げて本来の赤い色より禿げた白い色の方が多い長靴ではあったけど・・・どちらにしても右の長靴も雪で埋まり水で一杯だ。
身体全体に感覚がなかった。ただ・・・頭の中で自分がどこにいるのかが分からなかった。完全に混乱していた。一つ目の小屋が全く目に入らなかったのだ。なのに川まで来ていたのだ。そうすると二つ目の小屋はもうこの近くに違いない。斜めに歩いていたのか・・・吹雪でわからなかったのか…混乱する頭で一生懸命考える。
ここが橋ならなんとか二つ目の小屋まで行けるかも・・・
小屋まで行ったところでまだ先は続くのだ。
身体はガチガチと震えていた。歯と歯がカチカチとなる。音をさせまいと歯ぐきに力を入れるが耳に聞こえる音はドンドン大きくなる。
寒いのか・・・・怖いのか・・・両方なのか。
何処かで声がする。じっとしていたらダメだ・・・身体を起こしのろのろと立ちあがる。
歩く。全く進んでいる気がしなかったのだけれど。

途中で不意に気付いた。
何か音がする・・・
吹雪の吹きすさむ音の隙間を縫って何か乾いた音がする。
「カツーン・ボコボコ」「カツーン・ボコボコ」
規則的だ。ひゅーっと吹く風の音で時々は消えるが、段々近くになって行く。
何の音かはわからぬのに私はその音を目安に何時しかトロトロと進んでいた。

左手の方に吹雪の後ろにぼんやり暗い穴が見え、それが避難小屋だと気付いた時、近くから声がした。
母だった。笠をかぶり蓑を肩につけていた。雪の時は一番雪よけにいいのだ。
モンペをはき田植えの時の膝までの長靴をはいていた。
集団下校で帰ってきた子供たちの中に私がいない・・・
家にとって返し「こすきだ」を片手に完全武装で私を探しに来たのだ。
「こすきだ」というのは木でできたスコップみたいなものだと思ってもらっていいかと。
スコップは重いだけでなく粉雪の時にくっついて役に立たぬが、こすきだは雪がくっつかないことと雪道では杖代わりになり、雪をよけながら歩くには軽くてとっても便利なのだ。
こすきだで道を確認しながら母は前に進んでいたのだ。
私の聞いた音はこすきだが道にあたり、そのあと母がしっかりと雪道を進む音だったに違いない。

ずぶぬれで長靴を片方履いていない裸足の私を見て瞬時に私のランドセルを外した。
ランドセルから水がこぼれおちた。
自分の着ていた蓑とどてらを脱ぎ私を背中におんぶした。
その上にどてらを羽織りもんぺにはさんであった手ぬぐいで素足で真っ赤になった私の既に感覚のない左足を手ぬぐいでそうっと包み自分の着物のどこかから懐に左から入れた。私の右の長靴も靴下も脱がせ同じように自分の懐に右から入れた。身八つ口だったかもしれぬし、下に着ていた袖なしのどんこの袖口だったかもしれぬ。
そして縄でどてらの上からしっかり縛り、その上に蓑を付けた。片手にこすきだ、片手に私のランドセルを肘にかけ長靴を持ち歩きだした。
愚図愚図していたら凍えてしまう。
母の背中でぶるぶる震えながらも安心感で私はどうもそのままうとうとしてしまったらしい。
時々母のかぶっている笠が私の頭に当たるのだがそのたびに母の背中にいることを確認し安心していったような気がする。
「カツーン・ボコボコ・・カツーン・ボコボコ・・」落ち着いて、しっかりした音が遠のく意識の中で規則的に聞こえていた。

気がついたら家の堀こたつに布団を敷き私は寝かされていた。
体中がポカポカと暖かい。
「夢?」と一瞬思う。
薄暗いながらも向こうの囲炉裏端で煙管片手に教科書やノートを出して干している爺ちゃんが見える。
囲炉裏の火箸には長靴が片方だけ逆さまにして掛けられている。
囲炉裏の縁にはランドセルがふたが開けられ角度をつけられた状態で干してある。

「家なんだあ〜」と。
安心して又眠ってしまったらしい。
いつも何の役にもたたぬ私である。


2〜3日は学校は休みとなり、その次の日に学校へ。
朝玄関で長靴を履こうとしたら禿げた赤い靴は片方だけ。
その横に同じく禿げた青い長靴。
どう見ても大きさがすこぶる違う。
でも今日からはこれが私の長靴〜。

右足は丁度・・・左足はがばがば・・のはずなのに
中に新聞紙や綿や布が入っているようだ。
大きさをそろえてくれたのだろう。
この片方の長靴を調達するために多分、すぐ上の姉ちゃんも、又その上の上の姉ちゃんも、ひょっとしたら一番上の姉ちゃんも・・・皆影響を受けて違う色、違う大きさになって行ったに違いない。
ごめん・・・とちょっと胸がつまる。
それを履き学校へ。

そんなことがあったのかというくらいの晴天。
皆が集まりそれぞれのグループで一昨日まごまごして通った道を今度は学校へと歩く。
右の足には禿げた赤い長靴・・・・左の足にはまだまだでかい禿げた青い長靴・・

でもなぜか少し誇らしい気分だった。
何故なのかはよくはわからない。

吹雪の中を一人で途中までとは言え頑張って歩き続けた自分になのか・・・
一言も文句を言わずに瞬時に私を背負い家に向かった母という存在になのか・・・
本を読む暇があるなら母ちゃんの手伝いをしろといっていた爺ちゃんが私の教科書やノートを干していてくれたからなのか・・・
3人の姉たちが誰一人として何も恩着せがましいことをいわぬ・・そんな姉たちに対してなのか・・


色の違う・・・大きさも違う・・・長靴。
吹雪になるとまずあの色の違う禿げた長靴を思い出す。。。。