和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

着物ミステリーアワー〜♪

一日土曜日、教室に来た方Kさんから頂いた着物・・・

          

本人いわく・・・

「ネットで買ったのは良いけど自分にあててみたら、顔写りがよくなかったし、なんとなく嫌な気がした。あげる〜・・・」と。
着物と同時に同じ柄の帯も。


          

土曜日、日曜日、月曜日・・・とずっと衣桁にかけて柄行きを見ていた。
色々面白いことがわかる・・・

まずこの着物・・「色留袖」である。共の八掛けまで付いているし、比翼まで付いている。

          

民間では第一礼装が「黒留袖」なのでそれに準ずる。
ちなみに皇室では第一礼装が「色留袖」である。
であるからして皇室の方は黒留袖をお召にならない。
各種受賞の時でも御婦人がたは、未婚の場合は「振袖」、既婚の場合は「色留袖」である。
ただしその時は色留袖は五つ紋の染め抜き日向紋という一番格式の高い紋をつける。
民間では未婚、既婚どちらでも色留袖はOKであるが黒留袖は五つ紋の染め抜き日向紋と決まっているのだが色留袖は一つ紋も三つ紋も場所によってはありうる。
特に舞台に出る方や、各種パーティーの場合は一つ紋の色留袖というのも有りうる。

この着物・・・色留袖ではあるのだが一つ紋・・

          


と、言うことはパーティー用かも・・又は、舞台用かも・・・と。
さらに・・この紋がちょっと珍しい。「竹に雀」
それも紋自体はあまり上手な書き方とは言えないのだがそれは今は置いておく。
竹に雀は伊達政宗上杉謙信の好きな紋でもあるのだがそういう紋とも違う。
雀が一羽。ひょっとして何かの流派が流派独自の紋として使用しているのやもしれぬ。

で・・柄行きを見る。

これがまた・・能を舞う人と横笛。背景に荒々しい波。

                    

鼓でもなく、琴でもなく、尺八でもない・・・横笛。

この着物のテーマは「横笛」かも・・・と思うと・・二つ考えられる。

   ・横笛
   ・敦盛

  ☆「横笛」について☆
 
 皆さんご存じ高山樗牛の「滝口入道」・・あれは平家物語から題材を取っている。ご存知の方も多かろうが知らぬ人のためにざっとしたあらすじをいうと・・・

高倉帝の中宮建礼門院、すなわち清盛の娘徳子に仕えた女官に横笛という女性がいた。建礼門院につかえた女性というのはその出仕条件がすこぶる厳しいことで有名であった。家柄は勿論容姿、教養、雅楽の才、全てに秀でていないといけない。千人以上の女性たちから選ばれた選りすぐりの人。あの那須与一に扇をかざして「これを射よ」と挑発した玉虫の前もその一人なのだが・・・いまは横笛に焦点を当てるね。その横笛・・・並みいる平家の武将に目もくれぬ。重盛の家臣で斎藤時頼という武将が思い染め恋文を書き続ける。その数千通・・と並々ならぬ恋心。しかしただの一度も返事を書かぬ横笛。時頼は世をはかなみ出家してしまう。この時、彼は23歳。この「滝口入道」の「滝口」とは禁中守護の武士のことをいうのだが、その話を伝え聞いた横笛は気の毒なことをしたと会いに行く。
  
    追えば逃げ 逃げれば追うは 恋路なり

何て句を読む私。きっと俳句をする方に注意されるはず・・・季語がない・・と。

    追えば逃げ 逃げれば追うは こいじなり

ひらがなで書こう。「恋路」と「小泥」(こいじ)をかけましたよん。
「小泥」(こいじ)はやわらかくぬかるんだ泥地のことで短歌にはよく掛け言葉で使う。ぬかるんで身動きとれぬ泥地と恋の路を掛け言葉にするのは。
「小泥」は多分季語としては春・・・か。話がドンドンそれていく。戻そう。 

  『千づかの文に一言の返しせざりしつれなさを、恨み給わば如何にせん・・』

と夜の細道を時頼に会いたしと急ぐ横笛。滝口の寺院前で門をほとほとと打ちたたく・・・
何度も呼べど答えてはくれぬ・・

  『今は仏に仕うる身、・・ただ何事も夢ならば・・』

と読経を続けて戸をあけようともせぬ。時すでに遅し・・なのである。
琵琶では

  『のう開けてよと幾そ度、呼べど叫べど答えなく・・
          友に離れし雁金の声悲しげに啼いてゆく』と続く。

友に離れし雁金・・・「雁」は集団で行動し離れてしまうと生きていけない。
それで武士の結束を意味した家紋に好んで使われた。柴田勝家の家紋でもある。
ちなみに和装組曲はチーム・ハセガワのページの家紋は雁金にした。話を戻そう。こんな調子では中々ブログが終わらない。

  『このままに帰れとは恥じて死ぬとの心かや、・・・』

横笛の切ない・・ととるか・・脅しにも似たととるか・・その声にも読経は続く。
「滝口入道」では横笛はそのまま出家してしまうのだが、平家物語ではその寺の前の桂川に身を投げて死んでしまう。
彼女が身を投げた桂川・・明智光秀も闇路を渡った川でもある。

     無念至極の胸の中 乱れて濁る桂川 
     渡らむ駒の足並みは、東さしてぞ進みける

中国勢を助けるために大江山に行くか、そのまま本能寺に進むか・・迷いつつ渡った川でもある。
多くの思いを含みながら川の水は今も流れているのだ。

その桂川・・・

    『桜散る夜のおぼろ月、しぐれに月の潜む夜は、
         今も千鳥の音になきて哀れに叫ぶ声すなり』と結ばれる。

この時彼女は17歳位だったはず。

こんな悲しく恨みがましい題材を着物のテーマにするだろうか・・しかも色留袖。
いやいや舞台衣装なら有るやもしれぬ。


  ☆敦盛について☆

もう一方の横笛・・が関わってくるテーマとしては「敦盛」がある。
(また余談ばかり・・・と心配する皆さん、大丈夫、心配ご無用・・・余談はせぬ覚悟故・・・)
参議経盛の子。一の谷の戦いに無冠の大夫として参加。彼もまた横笛の名手。
夜疲れて眠る兵たちのそばで美しい横笛を吹く。その美しさに平家の武将のみならず敵方の源氏の武将も心を一時慰められる。
時の勢いの源氏の武将達に追われ平家は追われる。敦盛は逃げる途中、夕べ吹いた横笛を忘れたことに気づきとって返す。そのため平家の御座船に乗り遅れる。
源氏の熊谷次郎直実に追いつかれる。首打たんと刃降りあぐれば、あまりの敦盛の若さに直実は我が子を思い出し打てぬ。「そなたの名を・・・」訪ねる直実に敦盛は答える。

  「ただ某の首を取り、汝の大将義経に見せて問へ。
      義経見しらずはただ名もなき者の首として草むらに捨てたまへ」と。

この辺は琵琶の語りでは見せ場。自分で胸が詰まって歌えぬ場所でもある。
熊谷の説得で名を名乗るが、誰かに打たれる運命ならそこもとの手で・・という。
懐からは横笛が顔を覗かせる。ああ・・あの美しい横笛の音色はこの若者だったとは・・・・・と。
打ちとったところを語らず、琵琶の語りはとても美しく締めている。

           太刀に哀れや磯千鳥 啼くも悲しき須磨の浦

熊谷はその後敦盛を弔うために出家する・・・という話。

どちらの話も有名な横笛が絡む話。
最後の結末を考えるととても舞台衣装でないと使えないテーマである。
この着物を作った人はどういう人であったのか・・
衣桁にかかった着物を見ながら何度も推察する。

で・・・結論。
モンクさんさながら・・・「経緯はこう・・・」

謡曲をする人に違いない・・・楽器を使う人は「横笛」の絵は書かぬはず。野暮になるから。
着物の地色も箔帯の地色もとても品が良い。有る程度の教養や年齢がいっているはず。

着物は友禅ではない。糊糸目が全くない。
直で書いたに違いない。
色と色が微妙に混ざりにじんでいる。
その上に墨で輪郭を書いている。
北陸や近畿なら京友禅加賀友禅で書くところ。
九州あたりか・・・山口あたりか・・・波の高さや荒っぽさを考えると下関あたりか・・

            


能衣装での人物で「静」を、波の猛々しさで心の中の「動」を表現したかったのかも。
案外成功かもしれぬ。作家さんは男の方に違いない。女性ならもう少し綺麗な形でまとめたがるに違いない。
瀬戸内海の波というより北国の冬の荒々しさを感じる。

波の荒さは北陸を連想するのだが北陸の人は加賀友禅で書く。
一点物で注文に出すほどの人だから多分北九州あたりの人か・・
山口あたりで壇ノ浦を題材か・・・

一方・・帯。
どうも同じ作家さんの落款が入っているようにも見える。
多分着物の後に頼まれて書いたものだと。
着物よりも若干手抜き。
足袋の部分からして繊細さが違う。
どうもやっつけ仕事っぽいイメージが入ってくる。
いやいや・・気のせいではあるまい・・

着物の方が細かい陰影のところまで実に綺麗に書かれている。
帯は多分顔料で・・少し気の進まぬような力の抜き具合ではないか。

着物と帯は別の物と合わせたに違いない。
着物の能装束と、帯に書かれた能装束の色合いが違う。
着物は多分金の箔帯、小物は比翼からして白で統一。
帯は緑系統の無地の着物と合わせたと見た。こちらは色の入り具合から少し砕けた感じかと。
柄まで一緒なのに着物は青系統で・・帯は朱色・緑系統なので・・
顔つきも帯の方が若干穏やか。着物の絵の方がとんがってある種の緊張感がある。

     
    
     

これらをつなぎ合わせると、この着物の所有者は、はじめ着物を注文する。
能を舞う絵からは甘さがない・・・「横笛」ではないな・・「敦盛」であろう。
多分『敦盛』の謡曲の舞台衣装として。
着物の色といい、箔帯の品の良さと言い、多分これを買い求めたのは七十代か・・
山口から九州にかけての方と見た。
あまりに気にいったため、今度は箔帯にも上に同じテーマで同じ作家に書いてもらう。
残念ながら作家さんの方は最初の着物に書いたほどの熱意なくしぶしぶ引きうけ描く。
かくしてこの所有者は大切にこれを保存され、ある時は着物だけで、ある時は帯で、使用されていたに違いない。

で・・・なくなられたに違いない。
その子供・・は多分母の物をそんなに簡単に処分できぬはず・・
であるからして多分、所有者の孫が着物買い付け業者に売りに出すか引き取ってもらった・・・ということではないか・・・。

火曜サスペンス劇場・・・チャンチャンチャーーーーン〜♪・・・ならぬ・・
水曜着物ミステリー劇場でした。かなり当て推量っぽい。(笑)
案外着物と帯を一緒に使っていた・・・なんて方かも。
そういう場合は私の範疇にはない・・と諦めよう。

何日もこの着物と帯を見ながら一緒に仕事をしていたので着ていた人の思いが伝わってくるようだった。
着物は汚れもほとんどなく多分数えるくらいしか着ていないはず。
帯は何度かは締めているようである。絵を描いてもらう前から使っていたのやもしれぬ。

はるばる和装組曲の教室の衣桁にかかるまでどなたの手に渡りながらきたのか・・・
教室では、しばらく衣桁にかけておきますので興味のある方触ってみて。

裕福な方が贅に任せて作ったとは限らぬ、なけなしの一枚やもしれぬ。
大事に使ってあるのがその証拠・・
着物一枚に賭ける女性の思いの強さ・・
仇や一枚の着物といえおろそかにしてはならぬのだ。


本格的な冬になりました。皆さまお風邪を召されませぬように・・・