和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

野菜売り  2

野菜売りのブログを読んだ生徒さん・・・といっても50代〜60代の方だが、
「私も親と一緒にリヤカーでいった」とか
「何だか自分の昔の話と一緒だったわ」とか・・・
案外皆さんよく似た経験を持たれているよう。
年齢が似ていると経験も思い出も似てくるのだろう。

そして昨夜、ものすごい雷鳴に眠られずやおら起き出して、歌集「松の雫」という地方の同人誌を読んでいた。
この同人誌は歌集で仲間の方とともに母の短歌が出ている。
毎年送ってくれるのだがいつもは母の短歌しか読まず真新しいままである。
今までに十数冊たまっている。
どうせ朝まで時間もある・・・とゆっくり他の方たちのも読んでみた。
歌集「松の雫」八号 印刷は平成10年という冊子だった。
会員の短歌の後に十名くらいの方々が最後のところに随筆を載せている。
「へぇ〜・・こういうのもあるんやなあ〜」と。
そのうちの一つに次のような文があったので書きとめておこう。


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戦後の農家で現金収入のない家計の一助にもと、野菜を積んで金沢へ売りに出たものです。
或る寒い朝であった。
人影のない早朝の街にカタカタと下駄のなる音がしたかと思うと、襟巻で顔を隠した女性が突然路地より飛び出し、反対側の人家の陰に見えなくなった。と同時にカーチャン、カーチャンと泣き乍ら男の子が件の路地より飛び出してきた。でも母を見失って立ち竦む、続いて出てきた祖母らしき老女が、母ちゃんに付いて行けと子供の背をさかんに小突く。それを見ていて私は、その子を抱いて一緒に母を探してやりたい様な衝動を必死に耐えた。おぼろげ乍ら大体の想像はつく、子供は五歳くらいだつたろうか、短い着物の裾は寒そうであった。祖母らしき人は七十歳前後か、痩せてギスギスした感じで私には魔女の様に思えた。泣き乍ら祖母について、もと来た道を帰って行く姿を私も泣き乍ら見送った。
その時に有名な実朝の歌を思い出した。

  
      いとほしや見るに涙もとどまらず
            親もなき子の母をたづぬる 


無邪気な子供の遭遇した悲しい運命に同情し、親子の愛情の切なさを歌っている。親は決して幼い子を手放してはならぬ、と秘かに決心した日でした。彼の子は無事に成人しただろうか,又母なる人のその後の人生は平穏だったろうか、一度は我が子を捨てても子を思う心止みがたく、子供のもとに帰ったのではないだろうか、知る由もないが私にはそんな気がしてならないのです。

  実朝はまた

       もの言わぬ四方の獣すらだにも
             あはれなるかなや親の子を思ふ

                                           

人間の情愛は当然あるべきものとして暗示している。獣すらだにも、知ることが出来るが、今若し作者が此の世にあれば此の世相を如何に思うや、あわれなるかなや、と親子の情愛に心打たれ感動を示したのに、必ずしもそうではない人間の心の冷たさを嘆き、違った意味での獣にも劣る人間の身勝手さを、悲しむのではないでしょうか。追いすがる子供を捨て裾を翻して逃げる母親の裾裏の赤い色が、半世紀を経た今も時折瞼をよぎって、泣きながら帰る幼い少年の後ろ姿を思い出させるのです。



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ほんの短い文でしたが今から50年ほど前の事を思い出しながら平成10年に書かれた、いわば今から15年ほど前に書いた雑誌の一文だった。
筆者の遭遇したこの場面は今から65年ほど前のことになる。

作者は私の母。
私は野菜売りについて行ったことを幼い子供の視点で先日書いたが、たまたま雷の日の昨日、母の立場で野菜売りの日の一こまをこんなところで綴っていたのを目にしどこかドキッとさせられた。
もし雷がならず、ぐっすり寝むっていたら・・・
はたまた眠れずにいるいつもの夜のように琵琶のテープやCDを聞いていたら・・・
また違う流行りの雑誌を手にしていたら・・・・
私は母のこの短い随筆に遭遇することもなかったに違いない。

短歌の同人誌にいつも短歌を載せているのは知っていましたが、最後の方にこんな文を載せているのをその時初めて見て驚いた次第。母の短歌が載っている同人誌はかなりの冊数なので少しずつは読んではいるのだがいつも涙で胸が詰まり中々先に進まないのだ。又読んだ後の幼子の時にタイムスリップする一種独特の心の有り様がどこか時には疎ましく、鬱々とする気持ちがその歌集を中々読むのを進ませない一因でもあるのだが…
ご存じのように短歌は一首に思いがものすごく凝縮しているので一日に一首読んだらもう胸がいっぱいで読み進められないことも珍しくない。
十数冊以上読み残している理由にはならぬが。

ちなみにこの年の短歌は25首あったがこの年三月に私の父がなくなっているので母の歌の大半は父への追悼の歌が多かった。


せっかくなので今日読んだ母の歌を何首か載せよう。

  足の弱き夫(つま)につきゆく野の路に人目なければ腕組みあゆむ

  臥し乍ら動きを目で追う夫の辺に手仕事持ちきて日ながを過ごす
 
  紙オムツ荷台に括り帰る野路ハミングして沈む心励ます

  陽にやけて力溢れていたりしになすが儘なる夫(つま)の四肢拭く

  足萎えの夫の黄泉路の一人旅まわり灯篭ひたすらまわれ

                             (信乃) 


ちなみに私は母の歌で

  
  天つちをとよもし光る一つ雷不運の人の葬のもなかに


という歌が好きだ。
父はちっとも不運ではない・・・母のような妻に最後の最後までみとってもらったのだから・・・と。


雷は今も鳴りやまず響き渡っている。