最近声楽で歌っている歌がこれ・・・
「我手の花」(わがてのはな)
我手の花は
人染 めずみづからの香 とおのが色
さはれ盛りの短 かさよ
夕 べを待たで萎 れゆく
我手の花は誰 れ知らん
入日 の後 に見る如 き
うすくれなゐを頬 ( ほ )に残し
淡き香 をもて息すれど
我が手の花は萎 れゆく
いと小 ( ささ )やかにつつましき
わが魂 の花なれば
萎 ( しを )れゆくまますべなきか
与謝野晶子 作詞
信時潔 作曲
初めてこの歌をピアノ伴奏で3題まで通しで歌ったら涙が出そうなほど気持ちが寂しくなってしまった。
「美しいけど何て悲しい歌・・・」
と思いながら作詞者を見ると与謝野晶子。
「君死に給ふことなかれ」のあの歌人。
戦時中、戦地に行く弟に大胆に生きて帰って来いと歌ったあの歌人。
「えっ?もしかして・・」
と言う私に先生が
「そう・・弟さんが戦地から帰ってきてやがて死にゆくさまを看取りながらの歌のようです。」と。
興味のある方はユーチューブで一度聞いてみてください。
ゆったりと歌える歌だけど妙に寂寥感が胸に迫るのだ。
こんな歌があったのね。
さて・・今日は一人外国の生徒さんをご紹介しよう。
海外からの交換留学生の方。
詳細は控えさせてもらうが、日本文化・・特に江戸期の頃を勉強中。
しかし、母国に帰られればその国で何本の指に入る有名な外国語大学の日本語教師。
日本人以上と言ってもよい位日本語が堪能。初めて私にメールをくださった折、敬語や丁寧語が非常に適切に書かれているだけでなく、難しい漢字や熟語も駆使され頭の良さを感ぜずにはいられない語彙力を感じた。勿論その時に日本人ではない・・などとこれっぼっちも思わなかったのは言うまでもない。
「日本語だけを習っても人に教えるには不十分」
「背後にある日本文化や芸能をもっと理解しなければ」
と感じ日本文化そのものに傾倒され挑戦されている。
華道はもとより、邦楽の尺八も何年か習い続けていらっしゃる。
お箏や篠笛、三味線を選択されず尺八に特化されたのも頗る渋くていい。
そして舞台に立つ時に「自分で着物を着れなければ・・・」と和装組曲の門を叩かれたのだ。日本人でさえ自分で着物を着られなくても放置しているというのにである。
彼女のあまりにも優れた日本語能力を考えると、私との間に言葉の壁は無い。しかし着物用語などを教えていくうえで本当に5回で着物を着られるようにできるかとふと不安がよぎる。しかし、必死で頑張るという彼女の必死さにやってみようと私も心を動かされたのだ。
早速まず1回目までに着物のたたみ方を覚えて来てもらうことにした。
そして一回目は時節柄「浴衣」・・・のはずだった。
しかし30分もしないうちにパーフェクトに自分で着られた。
しかも何回か実にスムーズに。
この人は既に会得したな、と思う。
「物凄い集中力だね」
という私に
「HPを見てこの先生には中途半端ではだめだ、と思ったしその方が自分自身しっかりしたスキルを手に入れられると思ったので和装組曲を選んだのです。だから兎に角必死です。」
と。
浴衣・・としては着物も帯も実に見事。
一目で観光客だと分かる様なそんな着方やチョイスはしたくなかった・・と言うだけあり、流石である。
この二枚の写真は私がポーズを要求したのではない。
丁度教室に居合わせた琵琶教室のお弟子さんと玄関の階段前で色々話をしているのを私が勝手に撮った時のもの。ビックリするほど仕草が自然で素敵である。特に髪に手をやる時に自然と反対の手でその袂を持つところなどは、今の若い方など教えないとできないであろう仕草ではないか・・・
この日はこのまま浴衣で帰られた。
30分程度では一回分として教授料は頂けない。
次回着物と袋帯からにしょう。
一生懸命勉強される方はやはり教えていてとても楽しい。
彼女が母国に帰られるまで着物と帯をパーフェクトに自分で着られるように絶対してあげないと…と思う。彼女なら母国の教壇に着物姿で立つのも難しい夢ではない。日本人ですら中々気合いを入れないと難しい。頑張りましょう。これから時々上達具合をこのブログでお見せしようと思う。彼女のご家族や友人たちも異国で元気で頑張る彼女の姿を見られるではないか。
母国での尺八の舞台を自分で着物を着て袴をはいて写真に撮りきっと送ってくださるに違いない。着物を着た写真をきっと送りますから…とおっしゃってくださった。「あのワシントンDCの方みたいに」と。
おーーーっ、私の以前のブログも読んでいて下さったのね…ありがとっ。
もし皆さんの中で若い時の着物や帯で不要なものがあったら、彼女に提供して頂ければ、と思います。身長は雲龍柳と同じくらいです。この浴衣と帯は教室の備品の中から彼女が自分で選んだもの。ひっそりとしたものを選ぶのも中々どうして・・・・~♪
皆さんも応援してあげてくださいね~☆